日本全国、どこでもナチュラルワインが気軽に飲める時代、私たちはどんな注ぎ手に惹かれるのだろう?食いしん坊倶楽部のLINEオープンチャット「dancyuナチュラルワイン部」では、今後、メンバーから寄せられた「この人が注ぐ一杯は別格に美味しい!」という注ぎ手を徹底取材してお届け。第1回は、鎌倉ローカルから絶大な信頼を寄せられる『カリーノ』の春日偉宏さんです。
「私、春日さんの注いだ一杯からワイン人生が始まったんですよね」
ある夜、「カリーノ」で飲んでいた常連客がそうつぶやいた。鎌倉界隈で、春日偉宏(よりひろ)さんの存在を知るワイン好きは少なくない。鎌倉の名イタリアン「オステリア コマチーナ」でサービスをしていた時代から“鎌倉の弟”的存在で、ワインの注ぎ手だった彼の隠れファンは多かった。
コロナ禍で一度はワインから離れ、同じく鎌倉の人気カフェ「カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ」で働きながらコーヒーにどっぷりハマった春日さんが、「カリーノ」の屋号で再びワインを注ぎ始めたのは昨年11月のこと。今は間借り営業をしている店に、噂を聞きつけたワイン好きが待ってましたとばかりにやってくる。きっとみんなコマチーナ時代と変わらず、いやそれ以上に熱量ある彼のワイン語りを聞きたくて。ときには「これ、ヤバいんですよ」から始まる、ちょっと型破りなワイン愛溢れる語りが彼の持ち味。冒頭のお客さんも、その語りに惹きこまれてワイン人生が始まったとおっしゃっていたのだ。
どんな基準でワインをセレクトしているのだろう。聞いて返ってきたのは「ジャケ買いです」という答え。もちろん、造り手の哲学にも共鳴するし、インポーターの情熱もぐっと胸に刺さる。「でも僕がまず提供できるのはエンタメ。お客さんと対面したときに瞬間瞬間がいいものになればいいなと常々思っていて。って考えるとジャケットは話の糸口になりやすいし、何より音楽好きなんで、純粋にジャケ買いは楽しいんですよね」。
そう言いながらグラスに注いでくれたのは、ポルトガルは「ラディダディ・ワインズ」の『ロザード・ユニコーン』。そのボトルには、ユニコーンの絵柄のかわいいシールがランダムにべたべたと!
「これ、おもしろすぎません?初めて見たとき、嘘だろ?って思って。でも裏ラベルを見たらちゃんとワインだし。僕、ポルトガルのワインはあまり詳しくないですが、このワインを輸入しているインポーターのレシフェさんは顔を知っているんで、間違いないおいしさだろうと。それで実際に飲んでみたら、ファンシーなラベルとは裏腹に実直な味わいで……」
とピュアなワイン語りが続く。どの客にも、同じ熱量で。まっすぐなまなざしで。そんなわけだから語りにぐいっと引きこまれて、いつもなんだか楽しく飲めてしまうのだ。やっぱり注ぎ手のセレクトにその店の個性が出るし、どんな想いで注いでくれるかで、飲み手の気持ちも感じる味も変わるもの。多くの飲食店でナチュラルワインが飲める今だからこそ、春日さんみたいな初期衝動まんまな愛ある注ぎ手は貴重だろう。
そんな春日さんの今のイチオシは、イタリアのイル・ヴェイ。自然な造りのワインの先駆け的な造り手で、手頃な価格も手伝って、ワインラヴァーたちから愛され続けてきた存在だ。
「ひと昔前からナチュラルワインにはまっていた人は、みんな飲んだことがあるんじゃないでしょうか。前ほど頻繁に飲食店では見かけなくなったし、ちょっと懐かしいな、みたいに思う人もいるかもしれない。でも、ナチュラルワイン全盛の今だからこそ、もしイル・ヴェイを通ってない人がいたら絶対に飲んでほしい。ぶどうの味そのままで、裸足で駆け抜けていってるような素朴さがたまらない、永遠の名盤みたいなワインですから」
昔は、たとえ自分の好みに合わなくても“美味しさ”を頭で無理やり探しながら飲んでいた時代もあった。けれど「美味しいって、もっとシンプルでいいと思うようになった」という、今の春日さんらしいセレクト。
春日さんが自分の人生を決定づけたワインとして挙げたのは、フランス、ロワールの伝説のドメーヌ、ルメール・フルニエの甘口ワインだ。
「初めて飲んだのは、大船のイタリア料理店。2011年の震災後の5月、計画停電のさなか、今は奥さんである彼女と一緒に初めて行ったんです。僕が飲んだのは2003年ヴィンテージ。その頃、僕はワインを飲み始めた頃で酸の強い味はちょっと苦手だったんですけど、これはすごく熟成したシュナン・ブランで、蜂蜜でも入っているのか!?ってくらい甘くて。意味わかんないくらい旨すぎると衝撃を受けた気持ちが忘れられません」
このワインがきっかけで、自分のやりたいことを見つけたという春日さん。
「あんまりワイン飲んだことないんだよね、という人に注いで“何これおいしい!”って感じてもらいたい。僕の注いだ一杯から、その人のワインが始まる。そういう仕事ができたら最高だなって」
もう一本、春日さんの人生を変えたのは、イタリアにおける自然なワイン造りを牽引してきたひとり、アンジョリーノ マウレのサッサイア。
「ワインを飲み始めたばかりの頃、レストランで不慣れながらもボトルで頼んで、余った分をボトルキープしてもらったことがありました。それで、2週間後に再訪して飲んだらガラッと味が変化していた。抜栓してずいぶん時間が経っていたからもうダメになっちゃってるだろうなと半ば諦めていたんですけど、むちゃくちゃ美味しくなっていて。自然な造りのワインってすごい……とハマるきっかけになった、思い出のサッサイアです」
もともとは料理人志望で飲食業界へ足を踏み入れた春日さん。今は産休中の奥さま(鎌倉の名イタリアンや都内の人気洋食店でキャリアを積んだ腕のいい料理人さん)に代わり、自ら料理もつくって提供する。「料理は専門じゃないので」と謙遜はするけれど、自家製ロースハムはしっとりふんわり。コマチーナ仕込みのタチウオのフリットや、自家製からすみアーリオオーリオなど、シンプルでワインの進む料理揃いで、思わず杯が進んでしまう。
猛者の多い鎌倉で、注ぎ手としてはまだまだ経験値が足りないと春日さんはいう。それに今はまだ、間借り営業でワインを注ぐ日々。けれども、どこの店でも立てばそこはステージ。「いざステージに立っちゃったら出たとこ勝負。ジャズと一緒です。どこでだって最高のワインを伝えたい」と、マイルス・デイビィスのTシャツ姿で笑う。そんな春日さんはサックスが趣味。営業終了後、仕込みの間に練習するつもりで持参したというサックスを演奏してくれた。
愛あるワイン語りと音色を浴びた帰り道。推しのライブを観たような、心地よくも軽やか興奮に包まれていた。
※金・土・日曜は鎌倉のコーヒー店「THE GOOD GOODIES」でも間借り営業を行う。
文:安井洋子 撮影:長野陽一