【日本酒】人生最高の一本
【毎晩のように2人で晩酌】業界で有名な酒豪社長だった亡き父が愛した「真澄」

【毎晩のように2人で晩酌】業界で有名な酒豪社長だった亡き父が愛した「真澄」

食いしん坊倶楽部メンバー限定のLINEオープンチャットの、「日本酒」ルームのメンバーが、「自身の人生でこれぞ最高の一本!」という銘柄について語る連載。第5回はジンジャーエールさんの亡き父との思い出深い「人生最高の一本」です。

何気なくすごした、かけがえのない晩酌の時間

私の父は、とある食品会社の社長をしていました。休日も返上で、まとまった休みはお正月くらい。当然のことに毎日帰宅は遅く、23時をすぎることもたびたびでした。

家族は19時頃に夕飯を食べてしまうのですが、父は帰宅してから23時半頃に夕飯を食べ始めます。
当時大学生だった私は夕食後に勉強したり作業をしたりしていましたので、その時間には毎日起きていました。それを知っていた父は、1人で夕飯を食べるのが寂しかったのか私に声をかけてきました。「一緒に1杯飲まないかー?」と。
一族全員がお酒に強かったので、私も例にもれずお酒に強く、すぐに誘いにのって2階にある自分の部屋から降りていき、毎晩のように2人で晩酌をしていました。並んだつまみをつつきながら、熱燗を飲むことが多かったです。

何の話をしたのか、今となっては記憶にないのですが、他愛のない世間話だった気がします。
父は業界でも有名な酒豪ではありましたが、晩酌で深酒をすることはありませんでした。2人でお銚子2~3本も飲むと、父は遅めの夕飯を食べ始めるので私はそこで引き上げます。

周囲の皆さんは、父がお酒好きなことを知っているので、吟醸酒から古酒まで、いろいろな銘柄の酒を贈ってくださいました。なので、普段の晩酌にはそれらのお酒を飲んでいましたが、どれも美味しく甲乙つけがたい。ただ、父は出身地が信州でしたので、好んでよく「真澄」を飲んでいました。父の故郷の家に行くと、父は必ず「真澄」を買っていたこともあり、今でも私の一番好きな銘柄です。

父は十数年ほど前に亡くなりましたが、
今も私は週に何度か夕食前にお銚子一本ほどを飲み、父を偲んでいます。

今日も、わが父との良き思い出に献杯!

真澄
信州に行くたびに買っていたけど、都内でも入手がしやすくなった。「どんな料理にも合いやすく、杯は進むけど深酔いすることがないのがいいんです」。

文:ジンジャーエール(食いしん坊倶楽部メンバー) 構成:編集部