2022年7月号の特集テーマは「アジア麺」です。旅行作家の石田ゆうすけさんは、ウイグルを訪れたときに、驚くほど美味しい麺料理に出会いました。それに込められたウイグルの人々の思いとは――。
前回は中央アジアの「ラグマン」を書いたが、今回はお隣、中国ウイグル自治区の「ラグメン」を書きたい。
同じじゃないの?と思われそうだが、かなり違う。中央アジアで食べたラグマンはすべて"汁麺"だったが、ウイグルのラグメンはすべて汁の少ない、いわゆるぶっかけ麺だった。トマト、玉ねぎ、ピーマンなどの野菜と羊肉を炒め煮にしたものを手延べの麺にぶっかける。
麺はやはりうどんそっくりだが、その旨さはラグマンの比ではなかった(中央アジアのみなさん、ごめんなさい!)。表面はつるつるして喉越しがよく、噛めば目を見張るような粘りと弾力がある。ここまで高みに達している麺が海外にあったのか、と驚いてしまった。しかもその高みがウイグルエリア全体で保たれており、砂漠にぽつんと立っているような場末の食堂で食べても旨かったのだ。
麺の平均値がそれだけ高いのは、讃岐における人々のうどん愛のようなものに加え、民族のアイデンティティーまでをも麺に込めているからではないか。そう思わずにはいられないことが何度となくあった。
ウイグルの主食は麺とナン(パン)だ。炊き込みご飯の「ポロ」など米の料理もあるが、食べる頻度は麺やナンより少ないように見える。白飯もあるにはあるが、それをおかずと共に食べる習慣は、中国の人口の9割以上を占める漢民族からもたらされたものらしい(ちなみに新疆ウイグル自治区内の漢民族の割合は約4割)。
自転車で旅をすると、観光地だけでなく、何もない田舎も巡るからその土地本来の姿がよく見える。
ウイグルの田舎の村の食堂にはご飯がなく、ラグメンしかないということが多かった。町と町の間が何百キロも離れた辺境地では毎日村でラグメンを食べるはめになる。旨いからいいが、やはり毎日はつらい。ご飯も恋しくなる。ところが、食堂で居合わせた村人に聞いてみると、毎日ラグメンでいいという。
そんな田舎地帯を抜けて、ある大きな町に着いた。そこで英語を話すウイグル人と知り合った。40歳手前のいかにも紳士といった様子の男性で、政府機関で働いているらしい。僕が安宿を探していることを知ると、彼はとまっているタクシーを何台もまわって運転手たちからお薦めの安宿を聞き出し、おまけにその宿まで歩いて連れていってくれた。ウイグルの人々は本当に優しい。僕たちは並んで歩きながら、いろいろ話をした。笑いが絶えなかった。
ところが、話題がウイグルの現状になった途端、それまでの穏やかな顔が一転、きつい目になり、漢民族への不平を次から次に並べ始めたのだ。曰く、自分たちは常に監視され、自由がなく、漢語を話すことを強いられるから学業でも仕事でも最初から不利を被っている、云々。
このときは2000年代の初めで、ウイグル人への弾圧は今ほどではなかった。それでも、蜂の巣のように少し突けば大量の憤懣が一気にあふれ出す状態なのだ、と思った。
彼とは翌日も会い、昼メシを一緒に食べにいくことになった。
何が食べたい?と彼が聞くので、毎日ラグメンばかり食べてきた僕は「白ご飯がいいな」と言った。すると彼は顔を曇らせ、低い声でボソッとつぶやいたのだ。
「I hate rice」
思わず彼を見返した。目に暗い光が宿っている。坊主憎けりゃ袈裟まで、どころではない。漢民族の食べるものまでをも憎悪しているのだ。
ウイグル自治区は18世紀に清の支配下に入り、1950年代からは中国共産党による大規模な入植政策が行われ、今では他の中国の地域同様、中華を出す食堂が町にあふれている。当然ながら中華とウイグルの食文化との融合も見られるのだ。にもかかわらず、中華料理の象徴であろう白ご飯に対し、「hate」という感情を消せないでいる......。
結局僕は彼と一緒にこの昼もラグメンを食べた。麺の唯一無二の喉越しや弾力に、民族の矜持を見る思いがした。
文・写真:石田ゆうすけ