2022年2月号のテーマは「挽き肉が主役」です。旅人コミュニティーの中では評価が芳しくないイランの食事。旅行作家の石田ゆうすけさんは、初めてイランを訪れた際にその美味しさに驚き、「なぜみんなの評判は悪いのだろう?」と首をかしげたそうです。しかし、数日後にその本当の意味を知ることに――。
イランの食事はきつい、とよく言われる。旅人たちが会し、イランの話題になると、かなりの確率でその話になる。
だからイランに入った初日に「チェロケバブ」を食べたときは首を傾げてしまった。
「旨いやないか......」
チェロケバブはイランの国民的料理だ。ご飯の上に棒状のつくねがのり、焼きトマトと生の玉ねぎスライスが添えられる(トップ画像のチェロケバブはちょっと違うけれど)。
つくねは羊肉のミンチを固めて焼いたものだ。スプーンでほぐしながら、ご飯と一緒に食べる。炭火で焼かれたつくねの香ばしさと、羊肉のコクや甘味が溶け出した肉汁が、米のひと粒ひと粒に絡んでいる。そこに焼きトマトの甘酸っぱさと玉ねぎの歯ざわりが加わり、ますます味が膨らんでいく。
不思議なことに羊肉のにおいはほとんどなく、最初は「牛肉かな?」と思ったほどだった。羊をメインで食べる地域ならではの調理法があるのか、あるいは「ハラル」が関係しているのか。
今では日本でもたびたび耳にするハラルは、「許されている」を意味するアラビア語だ。イスラム教徒にとって豚肉やアルコールが禁忌だということはよく知られているが、ほかにも細かな戒律がたくさんあり、豚以外の肉でもイスラムのルールに沿って処理された"ハラルフード"しか口にしてはならないとされている。そのルールのひとつが血抜きだ。これが徹底して行われているから、においもいくらか抑えられているのかもしれない。わからないけど。
とにかく羊肉のつくねがめっぽう旨く、料理全体のバランスもいい。これに不平を言うなんて、みんなどうかしている。俺は毎日チェロケバブでもいいぜ!
と思った4日後ぐらいにはもう飽きた。いや、これはチェロケバブのせいではない。食事の選択肢が少ないため、本当に毎日こればかり食べてしまったのだ。
断っておくと、イラン料理自体が特別バラエティに乏しいわけじゃない。人の家に呼ばれることが多い国だが、いつもいろんな料理が出されるし、味もいい。
ところが外食になると一変する。とくに地方に行けば店のバリエーションが極端に減り、チェロケバブを出すレストラン、サンドイッチを出す軽食屋、露店の串焼き肉屋、とだいたいこの三つに絞られる。自転車をこいで腹ペコの胃には、三食すべてをサンドイッチや串肉でまかなうわけにもいかず、結局毎日のようにレストランに行ってチェロケバブを食べ、あっという間に食傷気味になる。
もちろん、メニューにはチェロケバブ以外の料理も載っている。だからそれを注文すれば済む話なのだが、しかしなぜかこれが思うようにいかない。
古都イスファハンでのことだ。日本でいえば京都のような町で、歴史的な建造物が随所に残っている。青タイルと緻密な装飾に固められた「イマームモスク」などはイランばかりか、アジア旅行のハイライトの一つといってもいいかもしれない。
夜になり、晩飯の店を探し始めたところで、おや?と思った。どの通りも閑散としていて、店の明かりが見えないのだ。
飲食店はバリエーションだけでなく数も少ない、というのはアルコールを禁忌とするイスラム教の国々に見られる傾向だが、イスラム色がとりわけ強いイランではそれがすこぶる顕著だった。でもまさかこの世界的な観光地まで同じ状況だとは......。
散々歩き回ってようやく1軒のレストランを見つけた。中に入ると閑古鳥が鳴いている。イラン人はやはり外食をあまりしないのだろうか。
メニューを開くと、料理名がずらりと並び、英語併記もあった。さすが観光地だな、と安堵しつつ、鱒のフライを注文する。ウェイターは表情を変えずに「ない」と答えた。
「ではビフテキを」
「ない」
「このチキンは?」
「切らしている」
「......じゃあどの料理があるの?」
メニューをウェイターのほうに向けると、彼の指は「チェロケバブ」を差し、そのあと動かなくなった。
文:石田ゆうすけ 写真:島田義弘