「酒を出せない酒場たち」~いつかまた、あの店で呑もう!~
営業再開の日、涙を流して飲んでいる方もいらっしゃいました──横浜・新子安「市民酒蔵 諸星」

営業再開の日、涙を流して飲んでいる方もいらっしゃいました──横浜・新子安「市民酒蔵 諸星」

かつて横浜に点在した“市民酒場”の流れを汲む、横浜・新子安「市民酒蔵 諸星」。約90年にわたって営業を続けるこの店も、長い休業を経て、ようやくいつもの光景が戻ってきた──かつてない苦境に立たされる酒場の人たちは、どのような思いでこの日々を乗り越えてきたのか。さまざまな店への取材を通して、「酒場の良さってなんだろう?」とじっくり考えていくルポルタージュ連載。第十七回は、横浜きっての老舗酒場で、酒場というコミュニティのかけがえのなさに思いを馳せてみました。

酒場営業の時間制限が解除されてから1ヶ月以上の時間が過ぎました。東京都では、認証店であれば1テーブル8人まで座れるように規制が緩和され、大きな忘年会とはいかないまでも、少人数で集まることできるようになりました。グループでなくても、たとえば隣り合わせた常連さんと、より親しく会話をしながら飲み食いできる。それくらいの安心感が生まれてきた昨今、酒場は、苦しかった制限期間を取り戻すべく、努力を続けています。

酒を出せない時期を経て、今、酒場の置かれた状況は、どうなのか。お客さんは戻ってきたのか。店の人たちは、現状をどう捉えているのか。そんなことを訪ねて歩くシリーズの第十七回は、横浜は新子安の老舗酒場「市民酒蔵 諸星」をお訪ねしました。

外観

店を開けなければ客は離れていく、それが先代の口癖だった

お話を伺いましたのは、時短営業が解除された2日目の、10月26日のことです。このお店は昭和初期に酒屋さんとしてスタートし、角打ちを経て酒場となった老舗中の老舗。横浜で戦前から組織された市民酒場の流れを組む、残り少ない店の一軒です。お話を聞かせてくださった諸星道治さんは、同店の三代目。昨年4月の緊急事態宣言発出以来、行政の要請に従ってきたということです。

「神奈川では今年の7月22日から酒類の提供自粛要請が出されました。当初、うちではノンアルコール飲料だけの営業をしてみたのですが、これがあまりうまくいかなかったですね。ノンアルコールのクラフトビールを取り寄せたり、工夫はしてみたものの、やはり酒が出せないと、難しいです。というのも、うちの常連さんはよく飲む人ばかりですから、お酒があるのに出さないと、盛り上がらないし、逆にクレームが出てしまう。お客さんが座っている目の前が酒の棚ですから、『なんだよ。酒、あるじゃん』ってね

三代目店主の諸星道治(もろほし みちはる)さん。
三代目店主の諸星道治(もろほし みちはる)さん。

「笑っているだけなら、いいんですけど、そういうお客さんの中には、仕事もないし、酒も飲めないのでは、生きている気がしない、なんておっしゃる人もいて。店に来ていただけても、そういう人に酒を出せないと、酒を飲めない哀しさを、こちらも痛切に感じてしまう。だから、一度はノンアルコールで店を開けてみたけれど、むしろ、開けなかったほうがよかったかなと思うくらいでしたね」

「市民酒蔵 諸星」の先代は常に言っていたそうです。どんなに身体がしんどくても店を休んではいけない。店を開けなければ客は離れていくと。父が口癖のように言っていたことを、息子である諸星さんはこれまで律儀に守ってきた。けれども、ノンアルコールでも店を開けるべきだと考えたわずかの期間に、その考えが少し変わったといいます。

「休まなければダメだという時期もあると思い始めたんですね。ノンアルコール飲料だけで店を開ければ、それはお客さんにストレスをかけることになる

もちろん、諸星さんも、店を開けたかったのだ。店を閉じている間は、何をしたらいいのかわからなかったと振り返ります。

品札と色紙

「酒類の提供自粛直前には、お客さんが多かったんです。夏場は、栓を開けてしまった日本酒は品質が保てないから飲んでしまうしかないわけです。だから、どの銘柄も、1杯300円とか400円とか、品によっては原価みたいな値段で売りました。生ビールは、最終日には1杯200円で出しました。でも、酒の提供ができなくなって休業に入ると、私も、店に出てきても、やることがない。夜も早く寝て、朝4時には目が覚めちゃう。コロナ以前には、遅いお客さんに付き合って深夜まで店を開けたりしたこともあったのですが、その頃と、昼と夜が逆転したかたちになりました」

新子安駅前にあるこの店は、京浜工業地帯の工場で働く人々に愛されてきた。この土地は、自動車、素材、石油関係など、日本を代表する大企業のお膝元だ。長く通う常連さんの中には、諸星さんの子供の頃を知る人もいる。そして、常連さんの多くは今も、この店のコンクリートの床に置かれた丸椅子に座って、細い木製のカウンターに、安くて、おいしいつまみと酒を置き、ひとり黙々と、あるいは隣り合わせた人と語りながら、酒を飲む。

丸椅子

その場の一員になることは、さまざまな酒場を知る経験豊富な呑ん兵衛でさえ憧れるほどのものだろう。だからこそ、この店の大きな暖簾をくぐるのには、ちょっとばかりの勇気もいるのです。

「昔は、喧嘩が多かったですねえ。あっと思ったら、なんだこのやろう!って(笑)」

諸星さんは楽しそうに、昔を振り返る。昭和の酒場でよく飲んだ人の中には、そうそう、そういうことがよくあったねと、相槌を打ちたくなる人もいるのではないか。

店内の壁
諸星道治さん

酒場は、人と人を結び付けるコミュニティ

日本酒の種類は実に豊富だし、たっぷりのキンミヤ焼酎に梅シロップを垂らしただけの割梅ロックも人気だ。棚の端のほうには、スコッチウイスキーのアイラモルトやシャルトリューズというリキュールのボトルも見える。全体に黒光りしているような風格のある店内で、客は思い思いに、好みの酒肴を頼む。

店内

もつ煮や漬物、キャベツと豚肉だけのシンプルな焼きそば。それから、質のいいマグロや〆サバ。焼売なんかも捨てがたい。そして、どれも、とても安い。消費税が10%に引き上げられたとき、店ではそのまま10%を乗せた価格にするのではなく、元の価格の見直しをして、常連さんたちが日ごろ使う金額にあまり変化が出ないようにした。そのため実質的な値下げになる品も少なくなかったようだが、長く通ってくれる客の多い店では、人一倍の神経も遣うのです。

酒肴と酒
もつのにこみ480円、割梅ロック330円。
酒肴
まぐろのさしみ630円。

そうした苦労に加えて、営業休止である。長い店の歴史の中で、これほど続けて休んだことなど、当然のことながら、ないのである。諸星さんもさすがに考え込むことがあったという。

酒屋さんや魚屋さんに会うと言われるんですよ。うちらは休んだら死活問題だと。私たちのような飲食店には協力金が出ますが、彼らには出ません。だから、このまま休んでいていいのかなという気持ちになるわけです。禁を破って営業してしまうかとも思う。けれど、それはできない。罰金が嫌だからとか、そういうことではなくて、長いことやってきたうちの看板に傷がつくと思ったんですね

看板とのれん

休業中でも諸星さんは酒屋さんや市場に顔を出したといいます。

「酒屋さんでは、自宅飲み用の酒は出るらしいですが、それは四合瓶がほとんどで、飲食店へ出荷するような量にはいかない。市場へ行ってみても、中に入っているお店がクローズしていたり、開いてはいても扱う商品が絞られていたりしました。たとえば鶏卵の業者がなくなったし、うちでいつも取っているチョリソーが、市場の店頭から消えました。市場だから、必要な分だけ買えるわけですけど、そこにないとなると、メーカーから取り寄せることになるので、まとまった量を仕入れないといけなくなる。これも、コロナの影響なんです。酒場には協力金が出ましたが、関連するところは、本当にたいへんです。そういう状況ですから、やはり、気持ちは凹みますよ。休んでいる間、ずいぶん、凹んでいました。今(10月26日)は店を再開できたからこうして話をしていますけど、店を閉じている間だったら、何もお話しすることができなかったと思います

諸星さんは8月にワクチン接種を受けたが、その後体調がすぐれなかった。気持ちに張りが戻ったのは、緊急事態が解除になるだろうと予測された時期になってからのことだった。

箱で積まれた酒瓶
テーブルの上

そして迎えた10月1日。客はやってきた。

涙を流して飲んでいる方もいらっしゃいました。『缶ビールじゃ、この味はしないんだよな』とか、常連さん同士で『あ、お前、生きていたか!』とか、そんなことを言い合ったり。私は淡々と店を開けるのが務めと思っていますけど、嬉しかったですね。まだ、お顔を見ていない常連のお客さんもいらっしゃいますが、それでも、うちは、お客さんの戻りが早いと思います。開けるまではとても不安だったのですが、開けてみたら出足がいいので、うちはまだ、いいほうなのかなと思います。同業者の話を聞くと、リモートワークや同僚や顧客との会食禁止とか、そういうことの影響で思ったほどお客さんが戻らない店もあるようです」

時短営業や酒提供禁止の要請に従った飲食店に給付される協力金も、行政による制限がなくなれば、ゼロになる。一方で、営業時間を短縮したり休業したりした期間に細くなった店と客とのつながりを補填する制度はないのだ。そんな中で、今、酒場は、年末年始という、正念場を迎えようとしている。

酒肴
テーブル番号のシール
店内の壁
酒肴
品札
提灯
ポスター
Tシャツのロゴ

「うちに初めて来るお客さんは、異次元空間みたいだという人がいます。あるいは、アミューズメントパークみたいだと(笑)。たしかに、今の時代にはあまりない空間ですから、ハードはこのままなんとか残して、ソフトの部分で、時代に添うように、少しずつ変えていこうかなと」

コロナの先行きは不透明だから、今はただ、やれることをやるのみ。そうして、年を越し、来年の春を迎える頃には、また新しい展望も開けてくるだろう……。多くの酒場と同様に、諸星さんも、今このときに、集中しているのではないだろうか。

職場の上司や先輩が部下や後輩を連れてきて、酒を教え、酒肴を教え、店と、そこでの過ごし方を教えた時代がある。そう昔の話ではない。「市民酒蔵 諸星」のような、昭和の時代を今にはっきりと感じさせる酒場には、そんなころの賑わいがある。何事か声高に語る酒好きたちの息遣いが、満ちている。ここには、職場や地域社会から続く、人と人を結び付けるコミュニティとしての役割が残っているのだ。コミュニティの中の酒場ではなく、「市民酒蔵 諸星」という酒場それ自体が、かけがえのないコミュニティ。そんな「場」を盛り上げていくのは、人と人との暖かいつながりを大事にする酒好きたちひとりひとりの、大事な役割なのかもしれません。

諸星道治さん

*最新の営業時間など、詳しくは電話やTwitterなどで確認を。

店舗情報店舗情報

市民酒蔵 諸星
  • 【住所】神奈川県横浜市神奈川区子安通3‐289
  • 【電話番号】045‐441‐0840
  • 【営業時間】16:30~21:00(L.O.)
  • 【定休日】土曜、日曜、祝日
  • 【アクセス】JR「新子安駅」、京浜急行「京急新子安駅」より0分

文:大竹 聡 写真:衛藤キヨコ

大竹 聡

大竹 聡 (ライター・作家)

1963年東京の西郊の生まれ。早稲田大学第二文学部卒業後、出版社、広告会社、編集プロダクション勤務を経てフリーに。コアな酒呑みファンを持つ雑誌『酒とつまみ』初代編集長。おもな著書に『最高の日本酒 関東厳選ちどりあし酒蔵めぐり』(双葉社)、『新幹線各駅停車 こだま酒場紀行』(ウェッジ)など多数。近著に『酔っぱらいに贈る言葉』(筑摩書房)が刊行。