小ぶりでも味が非常に良いガザミ(ワタリガニ)の仲間の中でも、大きなオスが1kg超にもなるノコギリガザミは例外だ。暖かい海を好むこの蟹の北限生息地は浜名湖。浜名湖特有の自然環境が凄いノコギリガザミを育む。他のワタリガニと異なり、胴が丸い(胴丸)が“どうまん蟹”の名の由来だ。
岸和田だんじり祭りの別名“かに祭り”の蟹はワタリガニ。アメリカのソフトシェルはワタリガニの一種アオガニ。豪州のマッドクラブや東南アジアのマングローブクラブはノコギリガザミ。ワタリガニ仲間は身の旨味成分が非常に豊富。脚が細く、ズワイガニやタラバガニのように食べやすくはないが、味はすこぶる良く、蟹味噌も濃厚でうまい。
日本各地でワタリガニは獲れるが、ノコギリガザミは高知県(浦戸湾)のえがに、静岡県(浜名湖)のどうまん蟹、先島諸島のマングローブ蟹の3ヶ所しか、安定的な水揚げはない。それでも数は非常に少なく、一般的には幻の美味蟹と呼んでも過言ではない。
ノコギリガザミは生息地の河口の干潟は護岸工事や工業化の埋め立てで激減し、蟹の姿を見ることが無くなった。ところが、鰻・海苔・スッポン・牡蠣の養殖が盛んな浜名湖は、複雑な護岸と日本最大級のアマモ場と1.2mの干満差のある干潟が残った。そこは139種の貝類、180種の甲殻類、473種の魚類が暮らす海。多種多様性は日本トップクラス。遠州灘から温かい海水が流れ込み、上質な餌に恵まれ、泥の海底が広がる浜名湖だから、どうまん蟹は存在する。挟む力が1トンとも言われる、巨大で強力なハサミが貝・エビ・蟹を破壊して餌にする!だから、どうまん蟹はうまい!
ワタリガニの仲間は死後、身質が急速に劣化し、味・香り・食感が悪くなる。調理は活を氷水で仮死状態にして、塩で蒸しあげる。活きたままでは、自切(脚が取れる)して、蟹のエキスが流れ出てしまうから、氷締めは念入りにする。どうまん蟹の爪は非常に硬い。木槌や出刃包丁の背で叩かないと割れない。硬い殻の中には上質な筋肉があり、胴の身も甲羅の味噌もうまい!1498年の明応地震と津波で浜名湖と遠州灘が繋がらなければ、どうまん蟹はこの世になかった。まさに『天災転じて美味となる』だ。
静岡出身の私が子供の頃(1960年代)は、貧しい家でも食べられるくらい獲れた蟹。放流事業の成果で水揚げが増えたとはいえ、まだまだ、一般入手困難な美味蟹だ。
文:(株)食文化 萩原章史