世界の○○~記憶に残る異国の一皿~
南米の果ての絶品ニジマス|世界の釣り②

南米の果ての絶品ニジマス|世界の釣り②

2021年10月号の第二特集テーマは「釣って、食べる。」です。アラスカから旅を始めた旅行作家の石田ゆうすけさんは、長い時をかけて一つの区切りであるアメリカ大陸縦断を果たしました。そのゴールの町で出会った極上のニジマスとは――。

大物ばかりの釣り天国

自転車で南米を南下していくと、どんどん人が少なくなっていき、やがて無人の荒野がどこまでも広がるようになる。パタゴニアだ。
ときに森や川が現れた。ルアー(疑似餌)を投げると、20~30cmのニジマスがぽんぽん釣れる。人がいないから、まるで原始の世界だ。魚はスレておらず、魚影も濃い。釣った魚はから揚げやソテーにする。澄みきった原始の川で育った魚だ。さぞかし臭みもなく澄みきった味がするのだろう、と思いきや、川魚特有のにおいがほんのりとあった。

大陸の南端に着くと、船でフエゴ島に渡った。世界最南端の町ウシュアイアはこの島の約500km南だ。
フエゴ島を走り始めて4日目、山あいに入ると南極ブナの群生に囲まれた。一面に紅葉し、まるで炎が燃え盛っているようだ。ため息をもらしながら、真っ赤なトンネルの中をゆっくりこいでいく。

小さな川が現れた。水深は深いが、向こう岸まで飛んで渡れそうなぐらい細い。さすがにマスはいないかな、と思いながらも、とりあえず自転車をとめ、竿を取り出した。フエゴ島はパタゴニアの中でもとりわけいい漁場だと聞いている。
ルアーを投げると、ガツンと強いアタリが来た。
「ウッソ!?」
動転しながら思いっきりしゃくると、竿が弓なりに曲がった。キリキリキリとリールから糸が出ていく。巨大な影が川底で暴れまわっている。10分ほど格闘し、ようやく釣りあげた獲物はまるまる太ったブラウントラウトだった。測ってみると61cmだ。一人ではとても食べきれそうにないので泣く泣く逃してやった。

再びルアーを投げていると、またもや竿先がギュンとしなった。今度も60cm近くある大物が上がった。
こうして1時間あまりで4匹のマスが上がったのだが、どれも50cmオーバーとデカすぎるため、川に放した。いやはや、聞きしに勝る釣り天国ではないか。

パタゴニアのブラウントラウト

5日目の夕方、最後の峠を越え、坂を下り始めるとウシュアイアの町明かりが見えた。アラスカをスタートして1年9ヶ月、ようやくアメリカ大陸のゴールに着いたのだ。
しかし、走りきった実感もなければ、こみあげてくる感動もなかった。なぜこんなに淡々としているのだろう、と自分でも不思議に思いながら町へと下りていった。

ウシュアイアは最果てのイメージからはかけ離れた瀟洒な町だった。ただし、町を取り囲む山々に目を向ければ、峰や稜線が刃のように鋭く尖っていて、いかにも極地方だ。
この町に日本人の名物じいさんがいる。自宅に日本人旅行者を泊めているうちに人づてで話が広がり、今では別宅を開放して宿にしているという話だった。
そこを訪ね、団らん室のドアを開けると、「おお、お疲れ!」という声が一斉に上がった。
「なんや、お前らまだいたんか!」
南米各地で会ってきた連中が何人もいる。みんなここが気に入って長逗留しているらしい。
それぞれの顔には大陸の終点に着いた充足感と、気が抜けたようなムードが浮かんでいた。そんな仲間たちから祝福を受けているうちに、ゴールした実感も少しだけわいてきたのだった。

数日後、4人のバイク旅行者たちとテントを持って遠くまで釣りに出かけた。バイクの後ろにのせてもらい、山をいくつも越えていくと、やがて玉砂利の川原に出た。真っ赤な南極ブナがあたりを取り囲んでおり、現実の世界とは思えないような美しさだ。
夕方が近づくとニジマスが入れ食いになった。

釣ったそばから魚に塩をふって木の枝を通し、焚き火の遠火であぶり焼きにする。皮が黄ばみ、しわができた頃にかぶりつく。かじった身から白い湯気が立ち、淡いピンク色の身が顔を出す。
不思議なことに臭みがまったくなかった。ここフエゴ島は、大陸とのあいだに細い海峡が通っているから島になっているだけで、ほとんど大陸の一部のようなところなのだが、ニジマスの味は別の魚かと思うほど違ったのだ。

「わ、なんだこれ?」
叫んだ男のほうを見ると、彼がかじったところがマス特有のピンク色ではなく、ザクロのように赤い。しかし、彼が叫んだのはその色のせいではなかった。薦められて一口もらうと、僕も「わ!」と声を上げた。なんだこりゃ? 普通のマスがサツマイモだとしたら、この赤身のマスはクリームと上等なバターを練り込んだスイートポテトといった感じだ。コクがあって、ほのかな甘みまで感じられ、頬の内側がこそばゆくなってくる。ほっぺたが落ちるとはまさにこのことか!
「おおっ、これもだ!」
別の一人が叫んだ。またもや赤身だ。僕たちはそれを「大トロ」と呼び、躍起になってマスにかぶりつき始めた。
「うお、やった、当たり!」
「くそっ、また外れだ」
7、8匹に1匹ぐらいが大トロだった。とびきりの個体がこんなにたくさんいるなんて、一体どういうことだろう。やはり、別天地にでもいるような気分なのだ。
それにしても大トロに当たったときのみんなの喜びようはどうだ。
「アイスの当たりバーを引いた子供みたいやな」
僕がニヤニヤしながら言うと、一人が「お前が一番はしゃいでるんだろ!」とぴしゃり。ドッと笑い声が上がる。

それぞれが本当に満ち足りた、ゆるみきった顔なのだ。終わったんだなぁ、としみじみ思った。強盗に身包みはがされたりして、いろいろ大変だったけれど、どうにか無事にたどり着いたのだ。
心の中には一点の薄雲もなくすっきりと晴れ渡り、極上のマスを心ゆくまで味わい尽くしていたのだった。

文・写真:石田ゆうすけ

石田 ゆうすけ

石田 ゆうすけ (旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。