はらぺこ本屋の新井
弁当をのぞきて見えるもの

弁当をのぞきて見えるもの

“食べる書評”第21回。東京の寒空の下、書店員の新井さんに、昼が来た!

マスク越しに、唐突な冬の匂い。湯島の坂を下り、銀杏の実を踏みながらJR御茶ノ水駅を目指していた私は、信号が赤になったのを理由に、通り過ぎたばかりのうどん屋へ引き返した。

ランチタイムをとうに過ぎた平日の午後、うどんが恋しいのは私だけでなかったようで、座席の三分の一が埋まっている。胃の腑を温めるだけだから、かけをサッと啜る予定だった。しかし水を持ってきた店員越しに、壁の季節メニューが目に入って、「牡蠣とじ」と注文していた。器を両手で持ち、汁を飲み干す頃には、指の先も温まる。写真とメニュー名だけのLINEを友人に送った。仕事柄、家から出ることが少ない友への『サラメシ』独占配信サービスのつもりだ。

『サラメシ』は《ランチをのぞけば、人生が見えてくる》がコンセプトのテレビ番組で、様々な職場で働く人のリアルな昼食にスポットを当てる。なぜ彼女はこんな時間に、御茶ノ水でひとり、牡蠣とじを啜っているのか。これだけで、ひとつの物語が生まれそうではないか。

朝の通勤ラッシュで、弁当が入っていると思しきバックを提げている人を見ると、思わず付いていって、中身を見せてもらいたくなる。何が詰まっているのか。何時間後に、どこで誰と食べるのか。何を考え、生きているのか。弁当を持っているというだけで、その人に俄然、興味が湧く。

出版社の営業さんが日々を綴った『本を抱えて会いにいく』には、コロナウイルスで明日が見えない時期も含め、構えて語れば変形してしまう、仕事と日常の実感が詰まっていた。その中で、彼が営業に出る際、肩から提げていたトートバッグの中に、タッパー弁当が入っていることを知る。〈なにかわからないけど白身魚の蒸したの〉〈レトルトビーフカレー〉〈砂肝ハンバーグ和え炒飯〉……和え?

ふと思い出したように、小学生の頃、庭の木からざくろをもいで食べたことを綴ったりもする。全く関係ないが、私の誕生日に、彼はお義母さんが作った帆立入りのグラタンを食べていたし、ある日の休日は、子供にラーメンを作ってあげていた。

働く日も、休みの日も、昼になったら飯を食う。当たり前のことだが、そこに視点を合わせると、こんなにも人は立体的で、面白い。

日記のようなものが、こうして本になるのが好きだ。食べたもの全てを記録しなくてもいい。たまには本の感想も入れてみよう。それこそおかずを詰めるみたいに、自由でカオスな、その人らしい弁当が出来上がる。

今回の一冊 『本を抱えて会いにいく』橋本亮二(十七時退勤社)
出版社の営業職をしながら、個人でもレーベルを立ち上げて本をつくる……そんな著者によるエッセイ集第二弾。購入はオンラインストア「ビーナイスの本屋さん」、ほか取扱い店舗店頭にて可能。

文:新井見枝香 イラスト:そで山かほ子

新井 見枝香

新井 見枝香 (書店員・エッセイスト)

1980年、東京生まれ下町(根岸)育ち。アルバイト時代を経て書店員となり(その前はアイスクリーム屋さんだった)、現在は東京・日比谷の「HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE」で本を売る。独自に設立した文学賞「新井賞」も今年で13回目。著書に『この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ』(秀和システム)、『本屋の新井』(講談社)など。