2020年7月号の第二特集は「昼めし」です。世界中を回った石田さんですが、「昼めし」と言われても、夜にも同じものを食べたり、みんなが決まって昼に食べるものがある国は少なかったと言います。そんな中、唯一「これぞ!」と思う昼めしを食べる国が――。
『dancyu』本誌7月号の第二特集は「昼めし」。ということで、前回は世界各地のいろんな例をあげてみたけれど、「これぞ昼めし」といったものはあまり思いつかなかった。
そもそも日本でも「日替わりランチ」のようなものはあるが、昼めし自体に決まった形があるわけじゃない。本誌の特集を見ても、麺、カレー、親子丼、餃子、とまあ多岐にわたっている。
そんななか、僕が知る限り、一国だけ、「これぞ昼めし」を食べている国があった。
メキシコだ。セットメニューの「コミーダ・コリーダ」がまさに日本の日替わりランチそっくりなのだ。ちなみにコミーダは「食事」、コリーダは「走る」という意味。工場労働者が短い時間にサッと食べられるように、と生まれたものらしい。
基本の形は、①スープ、②米かパスタ、③メイン、という構成。②は主食ではなく、イタリアンのプリモピアットのようなもので、主食はトウモロコシ粉でできた薄焼きパン「トルティージャ」だ。最後に簡単なデザートがつく店もある。
いわばコース料理だ。都市部だとフルコースと呼んで差し支えないものを出す高級店もある。でもたいていは、その名の通りサッと出てきて、安価。フルコースというよりは、やはり「サービス定食」なのだ。
田舎の食堂だと200円ぐらいで食べられ、トルティージャがお代わり自由なので、自転車旅行で常に飢えている僕はもっぱらこればかり食べたが、まったく飽きなかった。メキシコ料理自体がとにかく旨いうえに、日替わり定食だから同じ店で食べても毎日異なる料理が味わえる。
ただ、食べる行為自体が苦痛になったことがあった。標高2,240mの首都メキシコシティーから低地に降りたとき、地獄かよ、と思うほどの耐えがたい灼熱に見舞われたのだ。頭上からギラギラ照り付ける太陽光は、火傷のような痛みを伴ううえに、道路から反射する熱も猛烈なため、オーブンでじりじりと焼かれている気分だった。バッグの外につけた温度計は常に50℃を振り切っている。意識が朦朧とした状態でふらふら自転車をこいでいる自分の姿は、病気の野良犬のようだと思った。前にも書いたが、このとき、陽炎のなかに流しそうめん屋の幻影を見たのだ。そうめん以外は何も食べられないと思った。
しかし、陽炎のなかから現れるのはいつも流しそうめん屋ではなく、小さな村のボロい食堂だった。食欲なんかつゆもないが、何か食べないと走れない。
コミーダ・コリーダを頼むと、まずはコンソメスープが出てきた。すりゴマみたいなのが入っているな、と思ったらハエだった。小さなハエの死骸がたくさん浮かんでいる。ますますグッタリしたあと、なんだか腹が立ってきて、食堂のおばさんに「なにこれ?」とスープ上のハエたちを指した。おばさんは仏頂面のまま、自分の指をスープに突っ込んだ。それからスープ皿に沿って指を動かし、浮いているハエたちをすくいとると、「ノープロブレム」と言った。
うーん、なんて迅速な対応。サービスが行き届いているなぁ。っておい。
「俺は機械だ、心を持たない機械だ、ただ自転車をこぐためにエネルギーを注入するのだ」
自分にそう言い聞かせながらスプーンでスープをすくい、無理やり口に流し込んだ。
あれ?あっさりしたきれいな味。さらにスプーンで2杯、3杯、4杯……だんだん腹が減ってきた。
トマトと牛肉の炒めものが出てきた。トルティージャにつけながら食べる。トマトの酸味と唐辛子のピリ辛味にどんどん唾が出る。気が付けば汗だくになってムシャムシャ食べていた。
料理は知恵と文化の結晶だ。その土地の食材と水を使い、その土地の空気や気候のなかで食べて、よりおいしいものを。何十年、あるいは何百年もかけて編み出された“最適解”なのだ。そこで食べるのに、最もふさわしい。
文:石田ゆうすけ 写真:本野克佳