初めてのランチ営業を終えた「あゆみ食堂」。これからは諏訪の町に寄り添いながら、日々を営んで行く。大塩あゆみさんが、この地で店を開くまでに歩んだ仲間たちとの物語。
「あゆみ食堂」の移住計画は、仲間との出会いから始まった。
東京で暮らす大塩あゆみさんは、友人が開いた絵の展示会で料理を振る舞った。そのときに、当時ゲストハウスで働いていた東野華南子さんが訪れた。華南子さんは、あゆみさんの料理を食べてすぐに気に入ったという。自身の結婚式でも、あゆみさんに出張料理を依頼するほどだった。
「あの頃は料理研究家としてまだ駆け出しで、仕事に追われるような毎日でした」と、あゆみさんは振り返る。
ある日、展示に呼んでくれた友人から連絡が入る。
「華南子さんが旦那さんと立ち上げた『リビルディングセンター』で展示をやるから、料理をつくりにきてくれない?」
「リビルディングセンター」の噂は耳にしていたが、なかなか訪ねる時間をつくれていなかった。空家を解体したときに出る古材を活かして、古い物件をリノベーションするのが仕事だという。キッカケを与えてくれた友人に感謝をしながら長野県諏訪市を訪ねると、雄大な山々と広大な空があゆみさんを待っていた。
「リビルディングセンター」で出会う人たちは、穏やかながらも自分の指針が定まっていて刺激的な人ばかり。諏訪市で過ごす時間は、あゆみさんにとって心惹かれるものだった。
その後、三ヶ月に一度「リビルディングセンター」で出張料理をするようになったあゆみさん。
知り合いも増えて、土地の空気が体に馴染んできたころ、こんな言葉をかけられる。
「諏訪でお店をやってみれば?」
東京に帰っても、その言葉が妙に頭に残った。
このまま都会の流れにいて、私はどこへ行き着くのだろう。そう思っていた矢先のことだった。
諏訪で店を開くとなっても、不安に思うこともたくさんある。
気に入る物件はあるのだろうか。仕事として成り立つのだろうか。開業資金を返し続けるだけの生活になってしまうのではないだろうか。
あゆみさんの中で自問自答が繰り返された。
悩んでいてもしょうがない。まずは、開店準備を進めてみよう。自分にとってよくない選択だったら、障害にぶち当たって頓挫するはずだ。
「諏訪で食堂を開こうと思うの」
そう周囲の人たちに打ち明けると、胸に抱えた不安な気持ちとは違った反応が返ってきた。
「いいね!」
「諏訪に行ったら、もっと料理が良くなりそう」
「手伝えることがあれば、なんでも言って!」
自分以上に乗り気な友人たちをみていると、なんだか自信が湧いてきた。
「リビルディングセンター」の華南子さんは、自分たちが営んでいるカフェの売り上げを惜しげもなく教えてくれて、物件探しもしてくれた。
それから、約一年。
目まぐるしい勢いで進んだ「あゆみ食堂」の移住計画は、初営業の日を迎えた。
看板を出すと同時に、開店を待ち望んでいた人たちがあゆみさんに祝福の言葉を投げかけた。
開店から半年。
「あゆみ食堂」は少しずつ料理や営業のスタイルを変えながら、諏訪の人たちとの繋がりを深めているという。
面白いことに、都内に住む友人たちが月に2~3人は訪ねてくるので、東京で暮らしていたときよりも会っているそうだ。
「これからは、この町のひとつの選択肢に、『あゆみ食堂』がなれればと思ってます。いろんな店がそれぞれの役割を担って、ひとつの町をつくってる。その中のひとつに私の店も加われたら嬉しいです」
あゆみさんは満たされた笑顔でそう語った。
――おわり。
文:河野大治朗 写真:阪本勇