日本酒は、どんな土地で、どんな人が、どんな暮らしの中で、どんなことを考えて醸しているのでしょう。蔵の数だけ、物語があります。物語を知ると、お酒がもっとおいしくなるかもしれません。
人気銘柄が登場しては消えていく。栄枯盛衰が激しい日本酒界にあって「磯自慢」は、全国に名前を知られるようになった昭和の終わりから平成の終わりまで、存在感を放ち続けている。まさに平成を代表するスター銘柄である。
洞爺湖サミットで首脳晩餐会の乾杯酒に選ばれた「中取り純米大吟醸35」など、高価な限定品に目を奪われがちだが、1シーズンに仕込む106本のタンクのうち、31本と圧倒的に多いのが、最も安価な地元向けのレギュラー本醸造である。焼津の地酒であることに軸足を置きながら、すべての酒が、喉ごしなめらかで、凜とした気品漂う“磯自慢らしさ”で貫かれている。
季節雇用の杜氏をリーダーとするチームで醸されることにも注目だ。専業農家が激減し、農閑期の冬季に酒蔵に入る杜氏のなり手が少なくなっている現代では、蔵元(経営者)や社員が醸造責任者を務め、酒蔵に通勤する社員と共に酒造りを行なう例が増えている。だが、磯自慢では秋に杜氏と2人の蔵人が南部(岩手)から蔵に入り、年間雇用の5人の社員と契約社員1人を加えた9人でチームを結成。さらに、蔵元は製造計画の作成と酵母の培養を中心に、清掃作業も厭わずこなし、長男も人手の足りない仕事を手伝う。
こうして、初めて米を洗う10月初旬から、すべての酒を造り終える4月末までの約200日間、寝食を共にしながら、早朝から夜まで土日も休まず、ひたすら酒造りに勤しむ生活を送っている。
多田信男さん(76歳)は、平成10年に磯自慢の杜氏に就き、今期で21回目の酒造りに取り組んでいる。岩手県北上市の米農家の八代目として生まれ、20歳のときに宮城県の酒蔵に入った。冬場の小遣い稼ぎのつもりだったが、仕事ぶりを認められて、真剣に取り組むようになり、南部杜氏組合の試験に合格。33歳の若さで杜氏の職に就いた。
さらに静岡県の「志太泉」では、“麹づくりの鬼”と言われた磯自慢杜氏(当時)の横山福司さんと出会い、ものづくりに対する姿勢を学んだ。昭和20年代から杜氏を務め、磯自慢の基礎を築いた横山さんも多田さんに目をかけ、平成10年から多田杜氏が入ったのである。
昭和60年代から一躍、“吟醸王国”として注目されるようになった静岡県。多田さんの酒造りはその温暖な気候を加味しながら、自分なりに工夫を重ねた“多田流”だという。最も大切にしているのは、「洗いに始まり、洗いに終わる」という考え、つまり米を徹底的に洗うことである。これがその後の蒸し米や麹づくりなどすべてに関わる重要な作業と捉えているのだ。
酒質を決める“要”とされる麹づくりも多田流だ。その極意は、米をごく薄く広げて表面を乾かすこと。水分を求めて麹菌が米の芯まで食い込むようにして、長時間かけて育てる。製麹時間は純米吟醸クラスで48時間程度が主流だが、多田さんは本醸造でも52時間、大吟醸では70時間もの時間をかける。洗米も麹づくりも、すべては“透明感があって、喉ごしのいい酒”を造るためだ。それは「料理の味を引き立てながら、淡雪のように消えていく酒でありたい」と言う八代目蔵元の寺岡洋司さん(63歳)が目指す酒質と共通である。
「もう一つ大切なのは、みんなが仲良くすること。酒の味の角が取れるんですよ」と言う多田さんは、いつも柔和な笑顔を絶やさず、叱咤したり、威圧感を感じさせることはない。現場は和やかな雰囲気だ。「杜氏さんは態度で見本を示してくれる」「部活の合宿みたいで楽しい」「良いものを造ろうという思いでまとまっている」と、従業員はチームワークの良さを挙げ、夕食が美味しいことと、個室が確保されていることをうれしそうに語ってくれた。平成元年の建て替えのときに酒蔵として異例の12のベッド付きの個室を造ったのは、寺岡さん自身が若い頃、全員が大広間で寝泊まりしていた経験からだと説明する。
「横山杜氏に頼み込んで酒造りに入ったものの早朝の仕事も多く、夜中に隣で杜氏が起き出すと目が覚めてしまう。毎日眠くて体がきつくて。プライベートな時間が欲しいと思っていたんです。あと、食事も大事なこと。働きやすい環境を整えることと、従業員の心身の健康管理は、蔵元の大切な仕事です」。そのことは蔵人たちの風呂にも見ることができる。なんと富士山が眺められる絶景なのだ。
またこの建て替えでは、耐震の3階建ての鉄筋に造り替え、内壁は総ステンレス張りにした。30年前の当時、酒蔵は木造で漆喰壁が主流であったが、寺岡さんは低温でゆっくり発酵させるためには、蔵全体を冷蔵庫のようにすればいいと考えた。魚の町という焼津の地の利もあり、冷凍冷蔵倉庫が身近だ。知り合いの会社に頼んで、その9年前に仕込み蔵だけをステンレス張りにしたところ、酒質の向上につながってもいた。蔵付き酵母がいなくなってしまうと心配する人はたくさんいたが、温暖化が進む現代では、ステンレス張りの冷蔵仕込み蔵に改装する酒蔵は増えている。無謀とも思える挑戦は、時代の先駆けだったのである。
「これからも酒のために、もうひと手間かける、という気持ちを大切にしていきます。ただし、物まねはしません。香り系の酵母を使ったり、甘酸っぱい酒を造ったり、流行に左右されることはありませんし、質の低下につながる量産は考えていません。初志貫徹です」と、断言する八代目。また、東京農業大学農学部醸造科学科を卒業し、家業に就いて7年目になる長男の智之さん(31歳)も、「これからも磯自慢らしいスタイルを大切にしていきたい。同時に変わらないと言われるためには、クオリティーを高める努力を怠らないこと。それがバトンを受け取る自分の務めであり、支えてくれるファンの方や酒屋さんたちに対する恩返しだと考えています」と静かに話す。
確固たる信念とチャレンジ精神、経営センスとバランス感覚を併せ持つ蔵元と、思いを形にするチームがいる磯自慢。次の時代も、スターとして輝き続けるに違いない。
文:山同敦子 写真:たかはしじゅんいち
※この記事の内容はdancyu2019年3月号に掲載したものです。