コンビニのおでんが食べたいと言う。そんなのお安すぎるご用だ。銀座の老舗「お多幸」で朱色の缶に詰めたお持ち帰り用おでんを買って、馳せ参じたいくらいの気持ちなのだが、コンビニのがいいと言うなら、絶対にそれがいいのである。近くにあるコンビニで、カップラーメンみたいな軽い器に、できるだけ体に良さそうな具を選んで詰めた。欲しているおでんの味とは「つゆ」のことかもしれず、それもお玉でだくだくと注ぎ入れる。仕事を終えて空腹だった私は、つい自分用にもおでんを買って、病院の受付へと向かったのだった。
『ライオンのおやつ』にも、おでんが出てくる。ある静かな晩の、卵がみっしりと詰まったイイダコのおでん。そこは瀬戸内の島にある小さなホスピスで、イイダコを噛みしめる彼女は、もうすぐ死ぬことが確定していた。33歳で余命を告げられた雫さんは、もう泣いて怒って不貞腐れて、悲しみに暮れることを終えて、静かな境地に至っている。瀬戸内海を泳いでいたイイダコの命に感謝して、自分のために温め直してくれたことにすら感謝して、しかし、そんなわけあるかいな。彼女の元にはまだ、誰も面会が来ていない。もう一度、会いたい人がいるのではないか。子供に戻って、もう一度食べたいおやつがあるのではないか。
結局コンビニのおでんは、全て私の胃に収まった。おでんを両手に提げた私が近付いた途端、彼女が口を覆って逃げたからだ。食べたいと言ったのに、食べられなかった。私はそのことをずっと残念に思っていたけれど、雫さんのおかげで、なんだかもう目に見えていた記憶なんて改竄してもいいような気がしてきたのである。
彼女は「美味しい」と言って、味の染みた大根や昆布を平らげ、おつゆも全部飲み干したのでした。
文:新井見枝香 イラスト:そで山かほ子