はらぺこ本屋の新井
つゆだくのおでん2人前の行方

つゆだくのおでん2人前の行方

新井さんはコンビニおでんを携えてお見舞いへ。おでんと聞いて思い出すのは、クリスマスから始まる、ある小説でした。

コンビニのおでんが食べたいと言う。そんなのお安すぎるご用だ。銀座の老舗「お多幸」で朱色の缶に詰めたお持ち帰り用おでんを買って、馳せ参じたいくらいの気持ちなのだが、コンビニのがいいと言うなら、絶対にそれがいいのである。近くにあるコンビニで、カップラーメンみたいな軽い器に、できるだけ体に良さそうな具を選んで詰めた。欲しているおでんの味とは「つゆ」のことかもしれず、それもお玉でだくだくと注ぎ入れる。仕事を終えて空腹だった私は、つい自分用にもおでんを買って、病院の受付へと向かったのだった。

ライオンのおやつ』にも、おでんが出てくる。ある静かな晩の、卵がみっしりと詰まったイイダコのおでん。そこは瀬戸内の島にある小さなホスピスで、イイダコを噛みしめる彼女は、もうすぐ死ぬことが確定していた。33歳で余命を告げられた雫さんは、もう泣いて怒って不貞腐れて、悲しみに暮れることを終えて、静かな境地に至っている。瀬戸内海を泳いでいたイイダコの命に感謝して、自分のために温め直してくれたことにすら感謝して、しかし、そんなわけあるかいな。彼女の元にはまだ、誰も面会が来ていない。もう一度、会いたい人がいるのではないか。子供に戻って、もう一度食べたいおやつがあるのではないか。

結局コンビニのおでんは、全て私の胃に収まった。おでんを両手に提げた私が近付いた途端、彼女が口を覆って逃げたからだ。食べたいと言ったのに、食べられなかった。私はそのことをずっと残念に思っていたけれど、雫さんのおかげで、なんだかもう目に見えていた記憶なんて改竄してもいいような気がしてきたのである。

彼女は「美味しい」と言って、味の染みた大根や昆布を平らげ、おつゆも全部飲み干したのでした。

今回の一冊 『ライオンのおやつ』小川糸(ポプラ社)
男手ひとつで育ててくれた父のもとを離れ、ひとりで暮らしていた雫は病と闘っていたが、ある日医師から余命を告げられる。最後の日々を過ごす場所として、瀬戸内の島にあるホスピスを選んだ雫は、穏やかな島の景色の中で本当にしたかったことを考える。ホスピスでは、毎週日曜日、入居者が生きている間にもう一度食べたい思い出のおやつをリクエストできる「おやつの時間」があるのだが、雫は選べずにいた。

文:新井見枝香 イラスト:そで山かほ子

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新井 見枝香(書店員・エッセイスト)

1980年、東京生まれ下町(根岸)育ち。アルバイト時代を経て書店員となり(その前はアイスクリーム屋さんだった)、現在は東京・日比谷の「HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE」で本を売る。独自に設立した文学賞「新井賞」も今年で10回目。著書に『この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ』(秀和システム)、『本屋の新井』(講談社)など。