
地酒王国・新潟に現れた超新星として、2015年のデビュー以来、話題を集めている「加茂錦/荷札酒(かもにしき/にふだざけ)」。ソフトな飲み口、フレッシュで、バランスの取れたモダンなテイストで、年季の入った日本酒党から、日本酒初心者の若い男女まで、幅広い層に支持されている。造り手は、平成生まれの田中悠一さん。雇用された杜氏ではなく、酒蔵の跡取りとして生まれたわけでもない。「十四代に出会っていなかったら、酒造りを仕事にすることはなかった」と言う田中さんは、24年4月には、7代目蔵元にも就任した。異色の蔵元杜氏・田中悠一さんと、彼を酒造りの道へ導いた酒「十四代」の物語を2回にわたってお送りする(写真は2025年、「酒舗まさるや」主催の「酒人好の会」で)。
田中悠一さんと初めて会ったのは、2015年10月。東京・渋谷で開かれた試飲会「若手の夜明け」の会場だった。このイベントは、30代の若手醸造家たちの主催で2007年からスタートし、25年9月までに40回開催されている。カジュアルに楽しめる催しとして、若者に評判を呼び、二日間で3000人を集めた実績もある。酒蔵の若き後継者たちが出展し、その多くが人気蔵へと成長。全国区をめざす若手蔵元の登竜門として、酒販店や飲食店など酒のプロにも注目されているイベントだ。
15年10月に参加していた蔵元は、代表を務めていた「紀土(きっど)」(和歌山)を初め、「仙禽(せんきん)」(栃木)、「一白水成(いっぱくすいせい)」(秋田)、「写楽」(福島)、「くどき上手」(山形)、「白隠正宗」(静岡)、「みむろ杉」(奈良)、「出雲富士」(島根)など、当時の若手スターや売り出し中の29蔵。そのなかに、「加茂錦」(新潟)と書かれた看板を掲げる見知らぬ銘柄が出展していた。
バケツで冷やした4合瓶には、荷物に結ぶ札のようなラベルが貼ってある。「純米大吟醸 生詰め原酒」とシンプルな書体で記してあるほかは、精米歩合(50%)と日本酒度の数字が記されているだけ。通常、筆文字などで目立つように描かれる銘柄名は、ロゴマークの下に、ごく小さな文字で「加茂錦」と書かれているのみだ。
斬新なラベルに惹かれて眺めていると、「お酒、いかがですか?」と、童顔の若者が試飲カップに酒を注いでくれた。すらりと細身で、見上げるほど背が高く(身長185cmとあとで知った)、その上に色白の小さな顔がのっている。どう見ても20代前半の若さだが、言葉遣いはていねいで、浮わついたところがない。
一口飲んで、軽やかな飲み口とフレッシュ感に目を見張った。ラベルに「生詰め」とあるので、一回火入れ(加熱殺菌)した酒ということになるが、たった今搾った酒のように生き生きしている。きれいな酒質だが、新潟酒の特徴と言われるすっきりとした淡麗辛口タイプではなく、優しい甘みと、涼味がバランスよく配されている。筆者のあとに試飲した若い女子たちが「きゃあ、このお酒、マジ美味しい! 写真、いいですかぁ?」とはしゃぎながら、酒を注ぐ長身の若者をスマホで撮影している。筆者も、新鮮な魅力を放つ酒と、素敵な若者との出会いに高揚し、「きゃあ」と歓声をあげたい気分だった。
しかし、この若さで、こんなにレベルの高い酒を醸したのだろうか。きっとこの若者は蔵の後継ぎで、自分のイメージを伝えて、腕利きのベテラン杜氏に酒を造らせたのだろう。そんな想像をしながら、試飲客が途切れたタイミングで、話しかけてみた。
「酒を造ったのは僕です。22歳の大学生ですが、大学は休学して酒造りに専念しています」と答え、田中悠一と名乗った。6代目として蔵元を務めているのは父親だが、代々続く酒蔵の家ではないと付け加えた。異例づくめの酒と若者に、俄然興味を持った。


「若手の夜明け」で出会って2年後の2017年10月、酒の仕込みを見学できる機会を得た。
加茂錦酒造は、1893(明治26)年、新潟県加茂市で創業。ラベルに記される山と川を描いたロゴマークは、水源の粟ケ岳と加茂川をデザインしたものと聞いていたが、この日、案内されたのは新潟市秋葉区の工場のような建物だった。
田中悠一さんの父、康久さんは研究畑の人で、結婚後にアメリカに渡り、食品会社で技術研究職を務めた。湾岸戦争を機に帰国して新潟市に住み、親族が経営する味噌や醤油の製造会社など、数社の再建を任された。その後、再建の手腕を買われて、業績が悪化した別の親族(康久さんの叔母の嫁ぎ先)の家業、加茂錦酒造の立て直しを依頼され、07年に引き継いだ。創業の地である加茂市の土地と建物は引き渡し、設備だけを15kmほど離れた場所にある新潟市内の織物工場だった建物に移して、酒造りをしていた。
経営再建を託された康久さんは、地元の晩酌酒から脱する必要を感じた。量から質へと方向転換し全国区で勝負しよう、と人気のある銘柄を買い集めて味の研究を始めた。食品研究の経験があり、味や香りの違いはわかる。だが、元来、酒好きではなかった。
悠一さんは、父の康久さんについて、下戸の部類だと言う。
「物心ついた頃から、夕食の時に、日本酒はもちろん、アルコール類が食卓に上っているのを見たことはありませんでした。そんな父が、僕が大学に入学した頃から、日本酒をずらりと並べて、利き酒をするようになったんです。父から『お前も飲んでみろ、感想を言え』と言われ、仕方なくつきあうようになりました」。
1992年に長男として新潟市で生まれた悠一さんは、父親の血を引き継いだ“理系脳”で、地元の新潟大学工学部に入学する。体質は母のあけみさんの血を受け継いで、飲めない体質ではなかったが、酒好きではなかった。大学の飲み会では、梅酒や甘いサワー、ハイボールなど、つきあい程度に飲むだけ。日本酒に対するイメージは、決して良いものではなかった。
「利き酒は地獄でした。日本酒を口にするのもつらいし、父から感想を求められても言葉が出てこない。毎晩、逃げたくてたまりませんでした」。


そんな息子に、父は得意分野を生かせるアルバイトを持ちかけた。酒蔵の中で使う電子制御内蔵の装置を造って欲しいと依頼したのだ。
設備を新潟市へ移転させてから、康久さんは杜氏を置かず、自ら作業を経験しながら酒造りを把握しようと努めてきた。酒造業は、3K(キツイ・キタナイ・キケン)と言われる過酷な労働が支えてきたが、他業種から入った康久さんは、合理化できるところがあると感じた。なかでも人手を要する作業や深夜の仕事は、工夫次第で軽減できるはずだ、と。調べてみると、酒造機器メーカーが開発した設備は一台数百万円から数千万円と高額で、業績の思わしくない酒蔵が手を出せる金額ではない。そこで、幼い頃から模型の組み立てが好きで、大学では情報工学を専攻している悠一さんに声をかける。父と子でアイデアを出し合って設計図を描き、ホームセンターで材料を揃え、鉄工所に溶接を依頼。IC内蔵の米の浸漬機と、センサー付きの麹床を完成させたのだ。
米の浸漬作業は、米を水に漬ける単純な工程であるが、米の吸水率のわずかな差は、その後に続く麹造りや仕込みの過程で、大きな差となってしまう。そこで、米の品種や精米歩合、天候や気温によっても変化する状態を見極めて、精密に吸水率を設定(小数点以下まで設定する造り手もいる)。定めた吸水率に達するように、秒単位で吸水時間を決め、少量ずつ丁寧に浸漬を行なう。この「限定吸水」と言われる工程は、高品質な酒を造るための第一歩と言われる。しかし、その作業といえば、小さなタライをいくつも並べて水を張り、10kg~20kgなど正確に計測した米をタライに浸け、秒単位に設定された時間がきたら、人の手でタライを返して水をきり、タライを立てかけて米から水を抜く。これで1セット。この作業を、数分間隔で数十回以上繰り返す。しかもこの作業は、底冷えがする蔵の中で、酒造期の数か月間、ほぼ毎日続ける必要があるのだ。
片や、悠一さんのオリジナル浸漬機は、数個のタライ型の容器に、それぞれ独立したタイマーがセットされていて、設定した時間になると自動で底が開いて水が抜け、バキュームで完全に水分を吸い上げるというしくみになっている。“DIY感満載”の装置だが、ボタンを押せばきめ細かい浸漬作業が行なえる上に、手作業の場合は4~5人を要する作業が、1人で完了するスグレモノだ。

もう1台のオリジナル機は、麹室内の温度と麹の温度を制御できる装置だ。麹の育成に最適な環境をつくるために、夜中でも麹に布をかぶせたり、天地を返して空気を入れるなど、手入れ作業をする必要があるのだが、この装置は悠一さんのスマホに24時間データが送られてくるようになっていて、離れた場所に居ても様子がわかる。床の下に電球が組み込まれていて、遠隔操作で電圧を変えることで、0.5℃単位で温度の上げ下げができる。この電球は照明の役割も果たし、麹を薄く広げたときに、室の照明を消すと、麹の厚みのムラが一目でわかるようになっている。ほかの蔵でも近年、若い造り手たちが市販の装置を導入し、スマホを駆使して温度をチェックする様子を見るようになったが、スマホ操作で温度を変えられる仕組みは、筆者はこの17年が初見。床の下から麹を照らす装置は26年現在まで見たことがない。
精緻な酒造りで定評のある「而今」蔵元杜氏の大西唯克(ただよし)さんは「当時としては、その装置は先進的です。なにより限られた予算で、工夫しながら自作する心構えが素晴らしい」と讃えている。
優れた頭脳と、モノ造りを愛する心を持った理系男子が造り出した2つの装置の導入で、加茂錦酒造は方向転換した。“3K労働“を排除しながら、人の五感をフル稼働させる“進化形手造り蔵”へと舵を切ったのだ。


利き酒でも、悠一さんの意識を変える大きな出来事があった。20歳から毎晩、利き酒を繰り返してきて1年が過ぎたころ、いつものように、康久さんがインターネットで取り寄せた酒をずらりと並べ、あけみさんが用意した多数のテイスティンググラスに酒を注いで、利き酒を始めた。
「この酒がいま一番売れている、と父に言われて口にした『獺祭(だっさい)』を利いて、香りと味に驚きました。素人なりに品質の高さがわかりましたし、売れていることに納得できたんです。その隣にあった酒を味わった瞬間、衝撃が走りました。この酒が頂点だ!と直感したんです。ラベルには『十四代 本丸』(当時は本醸造)とありました。
その数日後に、今度は『怖い』と感じる酒に出会ってしまった。旨い、を超えて、凄み、迫力を感じたんです。畏怖の念と言ったほうがいいのかもしれません。それもまた『十四代』。純米吟醸 雄町でした。どうやったら、こんな凄いモノを造り出すことができるんだろう……」。
十四代の圧倒的な存在感に、恐れおののくと同時に、酒の造り手に尊敬の念を抱いた悠一さんは、いつしか自分が酒を造る姿を思い描くようになっていった。


※次回も引き続き、「加茂錦/荷札酒」の物語をお送りします。
加茂錦酒造
本社 新潟県加茂市仲町3‐3
工場 新潟県新潟市秋葉区新保1291‐1
【電話】0250‐61‐1411
※文中の高木さんのお名前の漢字「高」は、正しくは“はしごだか”です。ブラウザ上で正しく表示されない可能性があるために「高」と表示しています。会社名は「高木酒造」です。
文・撮影:山同敦子