
雑誌の校正作業がすべて終わり、完全終了することを、すなわち「校了」と云う。ダイハードな日々から解放され、自由の身になったとき、胃袋も心も何もかも満たされたいdancyu編集部員たちは、真っ先に何を食べにいくのだろうか?ハードな校了を終え、編集部員オリシキデは最高の餃子と炒飯を求めて西荻窪経向かった。
校了日。
それは連日の記事確認、多方面への連絡、修正の反映などなど、目まぐるしく発生する業務を一つずつ処理するだけで日が暮れ、気づけば昼ご飯を食べ忘れる。そんな日々の終わり。
校了を迎えるとそれなりの達成感がある。
と同時に、それ以上の疲労感が襲ってくる。
校了を乗り越えるためピンと張りつめていた糸が切れ、
忘れていた空腹がやってくる。
「早く、早くおいしいものを食べたい――」
そんなときに、真っ先に浮かぶのが「博華」だ。

「博華」は1960年創業。老舗の町中華。
現在は二代目の小倉博昭さん(いつもはヒロさんと呼んでいる)が一人で切り盛りしている。
オリシキデが生まれる前、母親のお腹の中にいる頃から両親はよく店に通い、餃子と炒飯を食べていた(らしい)。それから学生時代はもちろん、社会人になってからも通い続けている。来年30歳になるので、年齢と同じだけの年月を店に訪れている。
食べるのはいつも決まって餃子と炒飯。
餃子は自家製した大判の皮に餡がたっぷり包まれている。けれども、見た目からは想像できないほど軽やかで、驚くほど食べ進んでしまう。キャベツやニラといった野菜多めの餡で、肉感は思いのほか少ない。その分、にんにくはしっかり効いているので物足りなさも感じない。正直、何個食べてももたれない。
学生の頃、家族で店に行くとまず餃子を二人前頼み、野菜炒めや炒飯を食べた後締めにもう一度餃子を食べたりしていたこともあるぐらいだ。


まずは餃子で胃袋を落ち着かせたら、締めの炒飯へ。
カウンター越しにヒロさんが中華鍋をふり、手際よく炒めていく。その様子を眺めているだけでも気分が高揚する。
出来上がった炒飯は、ご飯がパラパラで、具は豚肉、にんじん、きくらげ(!)がたっぷり。一体感が素晴らしく、一口、また一口とレンゲを持つ手が止まることなく、気づけば半分ぐらいを食べ終わってしまう。
ついているスープでほっと一息ついて、じわ~っと体が温まったらまた炒飯に戻る。器を持って、かっこむように平らげる。この時間は、至福でしかない。

「一人のお客さんも多いから、食べきれるように重く感じない味つけにしてるんだよね」とヒロさんが教えてくれた。
だからか、一口食べてガツンと来る味わいではなく、一皿を食べ終わってしみじみ「おいしかった」と感じる。そして、あまり間を空けずにまた食べたくなってしまう。
生まれてからずっと西荻窪を離れていない。
理由はいろいろあるけれど、「博華があるから」というのはかなり大きな割合を占めている気がする。
校了で疲れていれば疲れているほど、長年食べ続けた味に癒されたくなる。
次の校了が終わったら、またこの味を欲しているに違いない。


文:折敷出 陸 撮影:伊藤菜々子