雑誌の校正作業がすべて終わり、完全終了することを、すなわち「校了」と云う。ダイハードな日々から解放され、自由の身になったとき、胃袋も心も何もかも満たされたいdancyu編集部員たちは、真っ先に何を食べにいくのだろうか?9月5日売り、dancyu2025年秋号「舌も心もとろかすバターとチーズ」特集を校了し、編集部員ニッタは、最高のチキンカツを求めて六本木へ向かった。
9月5日売り「舌も心もとろかすバターとチーズ」号の校了紙の束が印刷所へと旅立っていった瞬間、「お疲れっしたー!」と編集部を足早に出て六本木の東京ミッドタウンへと急いだ。目的地は『矢澤チキン』。肉好きのファンが多い精肉卸「ヤザワミート」が満を持して今年6月にオープンしたチキンカツの専門店だ。以前、「山手線!本気の昼飯マップ」というdancyuWEBの連載でも紹介したが、同じく「ヤザワミート」が運営する揚げ物の名店『あげ福』(五反田)には「肉ミックス」という、岩中豚の上ヒレ、和牛メンチ、チキンカツがひと皿に盛られた最高なメニューがあり、中でも特に大好物なのがチキンカツ。サクッとエアリーで、ふわふわっと軽やか。しっとりした新食感が感動モノで、勝手に“日本一のチキンカツ”と呼んでいる。
『矢澤チキン』は、その日本一のチキンカツの専門店だ。
冷静に考えるとスゴくないか。とんかつ屋や、洋食店にメニューの1つとしてあるものの、メインではなくミックスフライのワン・オブ・ゼム的な立ち位置だったチキンカツ。豚や牛を差し置いて、鶏肉一本勝負というのは聞いたことがない。それが、「矢澤チキン」では主役だ。店名にも掲げられている。専門店を出しちゃうあたりに、「ヤザワミート」の本気度と確固たる自信が垣間見える。
オーダーして5分ほどで「矢澤プレートトリプル」が到着。威風堂々。解説不要。揚げたての芳ばしいフライの香りが鼻腔をくすぐり、フランク・シナトラがビッグバンドで歌う「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」が頭の中で流れる。コレだよコレが食べたかったのよ。
まずは、何もつけずに、フィレカツ=ササミをひと口。サクッ、サクッ。粒感がやや大きくて甘さのある衣が、噛むほどにハイハットのように軽快なリズムを刻む。『あげ福』と同じく、武蔵小山の「中屋パン粉工場」謹製。肉との相性を検証しながらひたすらブラッシュアップを重ねてきたパン粉だという。鶏肉はすべて生後80日前後の若鶏を厳選していて、柔らかくしっとり。噛むほどに清らかな旨味が口の中に広がり、パン粉と素敵なコントラストを奏でる。次はレモンを軽く絞ってガブリ。衣の甘さと、鶏肉の味わいが、よりくっきりとした輪郭を帯びる。そして、最後に塩を端っこにちょっとだけつけて頬張る。淡路島産の藻塩は、鋭い塩味がなくマイルドでコクたっぷり。この塩が肉の甘味をグッと引き立てる。旨すぎて言葉が出てこない。
お次はムネカツ。パサつき感は皆無。ぎゅっと凝縮していて、味が濃い。弾力があるものの、軽く噛むと胸肉の繊維がほぐれる。フィレとムネは自社工場で企業秘密のスペシャルな塩だれに漬けこんでポテンシャルを最大限に引き出しているそうだ。170度近い油で3分揚げ、余熱で2分放置し、ギリギリの火入れでこの食感を目指しているという。しっとり柔らかいフィレとは違う胸肉らしい強さがある。
そして、モモ肉。にんにくとしょうがを下味に効かせていて、噛み締めると、ジューシーで瑞々しさもある脂の旨味とともにジュワッとあふれ出る。食べたらきっと誰もが、無性に白米が欲しくなって、ひたすらご飯をかっ込むだろう。このライスがまた旨い。青森の「まっしぐら」というブランド米で、粒だちよく、甘味のバランスも程よい。主張しすぎず、チキンカツを優しく受け止める。個人的にはハリ感のあるササニシキ系の米が好きということもあり、うんうんと頷いて黙々と唸る。白米を愛する食いしん坊たちの心がわかっているセレクトとしか言いようがない。
3つの部位をシンプルに塩やレモンで食べたら、あとは欲望が赴くがままにアレンジして味わうのみ。たっぷりの野菜と果物を煮込んでつくったチキンカツ専用ソースや、しょうがと玉ねぎを2週間寝かせて丸みのある味わいに仕上げたジンジャーソース、そして、たまごが濃厚でコク深いタルタルソース。どれもたまらん!付け合わせの千切りキャベツや、シャキシャキなにんじんのサラダ、マッシュポテトサラダと組み合わせれば、さらに七変化する。美味しい、だけじゃなく楽しい。これぞエンターテインメントだ。
軽やかなチキンカツを噛み締める。校了でようやく手離れした仕事に喜びがあふれる。クライマックス感で胸がいっぱいになり、そのとき聞いていたラジオから流れた、藤井風の名曲『満ちてゆく』の歌詞がやけに沁みた。
「手を放す、軽くなる、満ちてゆくーーーー」
文:仁田恭介 撮影:工藤睦子