
神奈川県の南西部にある海と温泉のまち、湯河原町。ここには、日本一と称されるラーメン店「飯田商店」がある。開業15周年という節目に、店主の飯田将太さんは自らの歩みを振り返る書籍を上梓した。これからの「飯田商店」が見据える未来とは――。
「6年前に“ラーメンを変える”っていう決断をして、本当によかったと思ってます」
今春、開業から15周年を迎えた「飯田商店」。店主の飯田将太さんは、この節目に上梓した『本物とは何か』(小社刊)を前に、改めて言葉に力を込めた。これまでの総決算をするかのように、著書では2019年に下したとんでもない決断について、当時の心境や葛藤を赤裸々に綴っている。数々の賞に輝き“日本一”を極めた味を捨て、「ラーメンを一新する」と宣言したのだから、常連客にとっても大事件だった。
ここで、飯田さんの“ラーメンの始まり”を駆け足で振り返りたい。きっかけは、25歳のときに他界した父から1億円の借金を引き継いだこと。返済するために、親戚の計らいでラーメンのチェーン店を営むことになったのだ。無我夢中で働き続けて自分の店を持つに至った経緯は著書を読んでいただくとして、マイナスからスタートして頂点を極めたことは、血の滲むような努力がもたらした奇跡といえよう。
ところが、評価を受けた飯田さんの心は次第に、モヤモヤと陰り始めたのだ。その当時のラーメンは、先輩職人からの教えのもとに出来上がったものであり、完全に自分の内側から生まれたものではないという葛藤があったからだ。
「ラーメンを変えないとダメだ」。そう決めたら早かった。SNSで決意表明し、休業を宣言。常連客から「新旧のラーメンを両方出せばいいじゃないか」と言われても、飯田さんは退路を断って自分を追い込んだ。
本当に自分がやりたいラーメンとは何か? その答えはすぐに出た。
「ラーメンの真ん中をつくってやろう」と。
それは、王道である鶏ガラと豚の骨で出汁をとるラーメンに挑戦することだ。
ここから飯田商店がちゃんとはじまると確信した。
――第5章 決断。ラーメンを一新する より
これまでの鶏を主体としたスープは捨てた。調和のとれる麺を模索し、それに合わせて具材も変えた。こうして出来上がったのが、現在の“しょうゆらぁ麺”だ。
「人が考えたものではない、“産みの苦しみ”をちゃんと感じたラーメンっていうのは、そのあともさらにおいしくなる。進歩の質が違う。まだまだ育っていきますよ」
そう話す目に、情熱の炎が見えた。『本物とは何か』という本のタイトルが示すように、本物のおいしさとは飯田さんが追い求め続ける永遠のテーマなのだ。
同時に、さまざまな場に出向いて「ラーメンで人を喜ばせる」ということも、近年の挑戦的な試みとして行なっている。イギリスではロイヤルファミリーが出席するイベントで、スペインでは世界に名を馳せる星付きのレストランで。はたまた、食事制限のある患者さんが食べられるラーメンを病院で、世界中の難民の方々が滞在する施設で。
ラーメンが国境を越えて、ときにバリアフリーに誰かを喜ばせることができるのも、日本が誇る文化だからだ。飯田さんにはその文化を背負っていく覚悟がある。
ラーメンには、先達が築いてくれた仕事があり、食材の構成がある。
皆さんがやってきてくれた積み重ねがあって今がある。
そこに敬意を払い、全部を背負うくらいの覚悟だ。
日本のラーメン文化を、寿司や蕎麦などと同様の、確かなものにしていく。
――第9章 夢。もっと多くの人に本気のラーメンを より
飯田さんの想いを胸に味わった一杯は、軽やかなのにどこまでも深かった。そんな余韻に浸りながら席を立つと、思いがけず軽快な声が響いた。
「ありがとうございました!」
心のこもった挨拶は、「おいしかった」の余韻をさらに増幅させてくれる。だから飯田さんは、決してコミュニケーションを惜しまない。「終生、おいしい一杯を追い求めたい」という信念のもと、これからも「飯田商店」のラーメンは進化し続ける。
今回の取材にあたり、食いしん坊倶楽部メンバー限定のLINEオープンチャットにて、「飯田商店」の飯田さんに聞きたいこと、を募集した。
その質問の中から、一部飯田さんに回答をいただいたのでご紹介します。
文:大沼聡子 撮影:合田昌弘