茨城県は日本一のれんこん産地。そのほとんどが生産されている霞ヶ浦周辺は、全国有数のマガモの飛来地でもある。しかしマガモは収穫前のれんこんを食べてしまうため、その食害が農家の生活に大きな影響を与える深刻な問題となっているのだ。そこで茨城県では、新しい冬の味覚としてブランド化し、農作物の被害防止と地域の活性化を目指す取り組みを始めた。
越冬のため、遠くシベリアから茨城県に飛来するマガモは5万羽を超えるとか。れんこん農家にとっては害鳥だが、フランス料理では「コルヴェール」と呼ばれる人気ジビエであり、捕獲時期や捕獲数が限定されていることからも希少な高級食材として知られている。日本では新潟や北海道などでも獲られているが、産地によって味わいは異なるもの。霞ヶ浦周辺は低湿地帯が多く、葦などの野草が堆積して土壌が肥えており、冬でも降雪の少ない温暖な気候。この自然条件に育まれた餌を食べた茨城産のマガモはやや小ぶりで、野生味あふれる旨味や弾力のある締まった肉質が特徴。
そんな独特の味わいを活かすため、県内の名だたる料理人たちの意見を聞き、猟師や食肉処理業者と協力しあって生まれたブランドが「常陸国天然まがも」である。
「常陸国天然まがも」は、フランス料理で「エトフェ」と呼ばれる血抜きしない状態で処理している。エトフェによって旨味を留め、肉の色合いが鮮やかになり、肉質が柔らかくなるうえ、マガモ特有の風味が強くなるのだ。そのため、肉に極力ダメージを与えないよう、猟銃ではなく「無双網(むそうあみ)」という仕掛けによる伝統猟法で捕獲している。
狩猟する日は夕方、捕獲池から20mほど離れた小屋で待機するが、網をかけるチャンスは1度きり。免許を持つ猟師は少なく、鳥獣保護管理法による制限や狩猟期間の短さもあって捕獲数は限られている。
捕獲したマガモは、猟師による止め刺し後、洗って汚れを落としてから県内の食肉処理施設へ送られ、そこで胴体部分の毛をむしり、腸以外の内臓をつけたままの状態で出荷される。
脂ののった養殖のアイガモなどと比べると、野生味あふれる「常陸国天然まがも」のおいしさを引き出すには、料理人の腕がかなり重要となる。そこでまずは本来のおいしさを伝えるために、県内の限られた飲食店のみが扱うこととなった。
“茨城テロワール”をモットーとする日本料理店「よし町」では、マガモを炭火焼きにすることでコクと旨みを引き出し、朝採れのねぎや菜花と組み合わせたメニューを提供している。料理長の木村英明さん曰く「常陸国天然まがもの良さは、筋肉質であり、風味が強いこと。今日は1週間前に獲れたものを使いましたが、寝かせたことで旨みが凝縮されています。野菜は鮮度が命ですが、マガモは新鮮なもの、熟成したものそれぞれのおいしさがある。ひとつの食材にとことん向き合わないと出合えない味があるんです。その日に手に入る食材に合わせて調理法や火入れを調整しますが、炭焼きは表面は香ばしく、かつ遠火で柔らかく火が入るのがいい」。
プリッとした食感と噛むほどに出てくる旨みが、あとを引くおいしさ。料理の手数は最小限ながら、ひと切れの満足感に驚く。
常陸大宮の雄大な景色を望む立地も魅力のフレンチレストラン「ヨシキ フジ」では、口に入れると消えてなくなるような柔らかさを表現したひと皿を。
「なるべく雌を指定して仕入れています。獲れたばかりの新鮮なマガモを、炭火で少し焦がし気味に焼いて香りを引き出し、繊維を断ち切るように薄く切ることでしっとりとしたやさしい食感に。この土地の食材の素晴らしさを知っていただきたくて、じっくり煮込んで甘さを引き出したれんこんや、茨城が誇る納豆をフムス仕立てにしたものなど、土地を象徴する食材を合わせました」と、藤 良樹シェフ。3種類の付け合わせとソースによって、何通りもの組み合わせを味わえる
いっぽう原始的な調理法ともいえる薪焼きのマガモを楽しめるのは、つくばのイタリアンレストラン「ノンナ・ニェッタ」。
「薪焼きは、常陸国天然まがもと相性がいい火入れ法。薪にも水分があるので、ジューシーに仕上がるんです。狩猟時期によっても変わるかと思いますが、今年の1月のマガモは脂も旨みもしっかりあるので、シンプルに焼くだけでおいしいんですね。かんだときにジュッと出てくる肉汁がソースのような感覚です」と川村憲二シェフ。骨でとったブロードにねぎを少し加えたリゾットと、もも肉をかるく煮込んだソースを添えたひと皿には、マガモの脂の旨みも余すことなく活かされている。
水戸で30年以上、地元に愛され続けてきたフレンチレストラン「オオツ」では、内臓のソースを添えたシンプルなローストを考案。スーシェフの大津高彬さんは「常陸国天然まがも」の力強い肉の風味を表現するために、フライパンでのアロゼとオーブン焼きをこまめに繰り返し、層を作るように丹念に火入れをした。
「とにかく、この肉質の良さを伝えたいので、ぎりぎりの火入れと、スープのように軽やかなソースに仕上げることにこだわりました。付け合わせは、もも肉をつくねにして、水戸藩の第9代藩主である徳川斉昭が記したとされる料理本『食菜録』をヒントにしたごぼう餅に仕立てたもの。このひと皿で茨城の食の奥深さを感じていただけるかと思います」
「常陸国天然まがも」のさらなる可能性について、食に精通する2人の美食家にも意見を聞いた。「ヨシキ フジ」と「オオツ」の料理を試食したのは、「世界ベストレストラン50」の日本評議委員長を務めるコラムニストの中村孝則さん。
「鴨肉というと脂が決め手、またはパサついて硬いという両極端な印象がありましたが、今日は両方のイメージが覆されました。藤さんの料理の口の中でほぐれていくような柔らかさと、大津さんの野生味が感じられるフレイバーのどちらも洗練されていて、嫌な臭みがまったくない。味わうことに夢中で、気づいたら食べ終わっていました。雄雌の違いもあるでしょうが、料理人によるアプローチの違いが面白いですね。ガストロノミーツーリズムが盛り上がっている今こそ、茨城に来ればこんなおいしいマガモが食べられると広く知らせたい」
屋台から三ツ星レストランまで、国内外を飛び回って食を極める実業家の本田直之さんは、以前も訪れたことがある「よし町」と、偶然にも取材日の3週間後に予約している「ノンナ・ニェッタ」の料理を試食。
「マガモは冬ごとに行きつけの店で食べるのを楽しみにしていますが、茨城で食べられるとは知りませんでした。実は狩猟免許を取得しようと考えたこともあるほどジビエが好きなのですが、どこの地方でも地元の人がジビエをあまり食べないのは、素人の処理や調理ゆえだと思うんです。今日食べたマガモ料理は、食べるほどにもっと食べたくなる旨さ。このレベルの高さは行政とシェフたちのタッグがうまくいっているおかげだと聞いて、なんてセンスがいいんだと驚きました。食に対する情熱を感じます」
茨城県農林水産部農地局
農村計画課 農村活性化グループ
TEL:029‐301‐4264
取材・文:藤井志織 撮影:米川朋宏