世界の○○~記憶に残る異国の一皿~
スペインのバルで出会ったとろける生ハム|世界の夏のつまみと酒②

スペインのバルで出会ったとろける生ハム|世界の夏のつまみと酒②

2022年8月号の特集テーマは「夏のつまみと酒」です。日本では酒はつまみと一緒に楽しむのが一般的ですが、旅行作家の石田ゆうすけさん曰く、海外ではそんなことはなく、もっぱら酒だけ飲むということが多かったそうです。しかし、スペインで目を見張るつまみに出会いました――。

生ハムよもやま話

海外の酒場ではおつまみをあまり食べなかった。国にもよるけど、酒場にそもそもフードの用意がないか、あったとしてもナッツやプレッツェルなど"乾きもの"ばかりだった。頼めば何かしら料理らしいものを出す店もあったのかもしれないけど、現地の人も基本飲んでばかりなのだ。右も左も分からず店に入り、現地の人を真似るというやり方で飲んでいたから、僕もつまみなしでひたすら安酒を飲んでいた。

だからといって不満があったかというと全然なく、「こんなもんだろう」と思っていたし、つまみを欲することもなかった。現地を旅していれば、その土地のやり方が当たり前になり、疑問にも思わなくなる。自転車で地を這うように旅していたから、現地に染まりやすい面はあったのかもしれない。イスラム圏にいたときはアルコールも欲さなくなったから、晩酌を欠かさない今の自分からするとすごい変わりようだ。宗教上、酒類が禁忌とはいえ、行くところに行けば酒は売られていたし、こっそり酒を飲ませる酒場もあったのに。逆に、飲んべえの国アイルランドでは毎晩浴びるようにビールを飲み、たまに野宿して酒がない日があると、手が震えるような錯覚を起こしてちょっと怖くなった(錯覚じゃなかったかもしれない)。

閑話休題。おつまみがない酒場が普通だったから、スペインに入って酒場をのぞいたときは目を見張った。客たちは小皿にのった料理をテーブルにいくつも置き、それらをつまみながら飲んでいるのだ。急に懐かしい気分になった。日本の居酒屋に似ていたからだ。明るい空気だった。これまでのどの国の酒場とも違う。料理はカウンターにもずらりと並んでいた。鰯のオイル漬けに、タコのマリネ、肉団子のトマト煮、鳥肝のアヒージョ、エトセトラ。大皿に盛られていて、オーダーごとに小皿にとって出されている。おばんざい屋と同じだ。店内に料理がたくさんあるから、空気が明るくて女性的な温かさがあるんだなと思った。逆に酒だけの店はどうしても男性的で、暗く重めになる。

天井には生ハムの原木が何本もぶら下がっていて、注文が入るたびにナイフで薄く切られていた。来る客来る客、ほぼ全員が生ハムを頼んでいる。僕も赤ワインと一緒に頼んで食べてみると、舌の上でシャーベットがとろけるような食感が広がり、面食らった。熟成した肉の旨味がさざ波のように広がっていく。追いかけるようにワインを飲む(こちらは1杯100円程度の安ワインだったので驚かなかった)。再び生ハムを口に入れ、ワインで追いかける。
「やっぱり楽しいっ!!」
そうだよ。これだよ。なんでこれまでつまみがなかったんだろう。酒と旨い料理をやるのが至福なのに。レストランで酒を飲めばいい話だけど、長期旅行者には金額的に辛い。安酒場でちょっと気の利いたものを出してくれるのがやっぱり理想なのだ。でもそういう店がなかったんだよなあ。これまで疑問に感じたこともなかったのに、急につまみの不在が不自然に思えてきた。

その後スペインでは毎晩のように酒場「バル」をはしごし、生ハムはほぼ毎回頼んだ。途中出会った日本人の旅人がバル未経験だというので、連れていったら彼も舌の上でとろける生ハムに目を丸くしていた。
こうしてスペインでも酒がないと手が震えそうな日々を送ったあと、モロッコに渡ることになった。僕にとって初めてのアラブだ。酒は手に入らなくなるだろう。スペインでビールのロング缶を10本買って自転車のバッグに詰め込み、モロッコに入ると、町で普通に缶ビールが売られていてこけそうになった。また入国初日こそ"こっそり酒を飲ませる酒場"にも行ったが、その日を最後に行かなくなり、持ち込んだ缶ビールを3日かけて飲んだあとは、ビールを買って飲むこともなくなった。別に我慢したわけではなく、酒がないのが当たり前になり、自然と欲さなくなったのだ。

それから年月が流れ、日本でもスペインバルの名が知られるようになり、店が一気に増えた。村の寄り合い場のような本場のバルと比べると、日本のバルはなんとなくおしゃれで、様子が違うが、生ハムもずいぶん違う。いろいろ食べたけど、舌の上でとろけるようなあの食感にはまだ出会えていない。スペインでは田舎のバルの安い生ハムでもとろけていたのに。
海外では現地の文化習慣が当たり前になり、不満も疑問も抱かなくなったが、こと日本では、そして生ハムだけはつい本場のあの味を求め、「これじゃない」と思ってしまう。しかし、こうまで違うとなんだろう。思い出が美化されすぎているのかなあ。ありもしない食感を求めているんだろうか。

そうそう、今回のテーマは「夏のおつまみ」だった。夏に生ハムといえば、やはり生ハムメロン。日本で食べていたときは、"まあわかるけど、なんとなく微妙"という印象だったが、夏にイタリアを訪れ、食べたときはやっと腑に落ちた。イタリアのメロンは甘みも香りも薄いのだ。確かに生ハムと合う。
それなら日本でも熟す前にメロンを切って生ハムと合わせればいい。そう思うのだけど、あと数日置けば甘くなるのがわかっているメロンを(わざわざ生ハムのために)カットする豪気さは僕にはなく、結局いつも爛熟した香りの濃厚な甘々メロンと合わせることになり、「これ、生ハムいらなくない?」という微妙な思いを毎回抱きつつ、まあワインには合うのでなんとなく食べている。

文:石田ゆうすけ

石田 ゆうすけ

石田 ゆうすけ (旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。