平成30年7月の豪雨で、甚大な被害を受けた愛媛県の柑橘農家。柑橘の新しい用途を開拓する「HASHIWATASHIプロジェクト」が始動した。被害に遭った柑橘産地を応援するべく、バーテンダーとバリスタが集まり、カクテルとコーヒーのセミナーを開催。バーやカフェに柑橘の魅力を伝え、用途と販路を拡大する。
平成31年2月5日、東京・四谷のジェラテリア&バー「ティグラート」は大混雑だった。大挙してやってきたのは、人気店のオーナーバーテンダーやコンテスト受賞歴を持つバーテンダーたち。いずれも腕の立つプロばかりだ。彼らの目当ては、カウンターに所狭しと並ぶ10種の柑橘だった。
「ティグラート」のプロデューサーで気鋭のバーテンダー、高宮裕輔さんがおよそバーに似つかわしくない食材を取り出す。鰹節だ。ていねいに削りおろすとウォッカに入れ、火をつけてフランベする。そこに"媛レモン"の果肉と文旦のピール、シロップを加えて出来上がったのはなんとも香り高く、旨味を湛えたカクテルだった。
それに続いてコーヒー豆の輸入・販売、カフェ運営を行うボンタイン珈琲本社代表の加藤慶人さんが、化学の実験のように慎重に伊予柑とコーヒーとウイスキーのアロマを融合させていく。伊予柑のバランスのとれた甘味と酸味にコーヒーの苦味が加わったカクテルは、鼻腔と味蕾を心地よく刺激。
「ほう……、こう来るか」「これはスゴイ」。味見をする参加者たちからため息に似た感嘆が漏れた。
話は2ヵ月ほど遡る。高宮さんと加藤さんのふたりは、愛媛県宇和島市にいた。温州みかんの発祥地であり、日本を代表する柑橘産地である。平成30年7月、みかんの里を豪雨が襲った。約1,500ヵ所で土砂崩れが発生し、534haもの柑橘畑が被害を受けた。
豪雨の日からは既に半年が経っていたが、山はあちこちに土砂崩れの傷跡を晒し、段々畑には大雨で流されてきた木が転がっていた。そんな痛々しい風景が広がる中、ふたりは柑橘生産者である大久保農園の大久保幸裕さんの案内で、被災を免れた柑橘畑を巡った。
大久保さんは、「NPO法人柑橘ソムリエ愛媛」の副理事を務める。地域の生産者仲間や愛媛県の飲食店関係者などが組織したNPOで、柑橘の魅力を伝える活動を地道に続けてきた。大久保さんは、つねづね「愛媛の柑橘の味と香りの良さをもっと多くの人に知ってほしい、もっと活かしてほしい」と考えていた。
自身の作業場も被災し、大きな損害を被った大久保さんだが、意気消沈はしていなかった。豪雨被災地の需要振興を目的としたHASHIWATASHIプロジェクトを利用し、専門家の知恵と経験を借りて柑橘の可能性を広げたいと考えた。
その熱意を受け止めたのが、カクテルの専門家である高宮さんと、コーヒーの専門家である加藤さんだった。高宮さんは地域産品を使った加工品づくりも手がけていて、柑橘産地の窮状を案じていた。ワールドバリスタチャンピオンシップ国際審査員を務める加藤さんは、コーヒーカクテルの人気の高まりの中で、コーヒーの世界を広げてくれる素材として柑橘に注目していた。
畑を歩きながら、木に生っている柑橘をもぎ、皮の匂いを嗅ぎ、果実の風味を確かめる高宮さんと加藤さん。すでにどう使うかのアイデアが浮かんでいるようだった。場所を町の公民館へ移し、さっそくコーヒーやスピリッツと合わせたドリンクの試作に取りかかった。「もっと酸味の強いのはどれ?」。高宮さんと加藤さんの質問に、柑橘ソムリエ愛媛のメンバーたちは意外そうな表情を浮かべる。甘さを追求する生産者にとって「酸っぱいみかん」は失敗作。だが、高宮さんは「カクテルに欲しいのは甘味よりむしろ香り、酸味、苦味。早熟な実や無農薬の柑橘の皮も十分活かせる」と言う。新しい可能性が垣間見えた瞬間だった。
話を2月5日の「ティグラート」に戻そう。現地を視察した高宮さんと加藤さんには確信があった。自分たちと同じドリンクのプロであれば、柑橘に触ってもらい、試作してもらいさえすれば、良さは伝わる。レモンやライムといったカクテルによく使われる定番の柑橘とは異なる、愛媛の柑橘の個性と魅力を自ら感じ取ってもらおう。そう考え、「柑橘カクテルセミナー」は体験型のプログラムにした。
まずはふたりがデモンストレーションで2種類ずつのカクテルをつくり、その後、参加者に呼びかけた。「今度は皆さんの出番です」。伊予柑、ポンカン、せとか、河内晩柑、甘平、ブラッドオレンジ、文旦、黄金柑、レモン、媛レモン。10種の柑橘が参加者の手に委ねられた。「この媛レモンって言うの? 山椒みたいな香りが面白いね」「黄金柑は酸味と甘さのバランスが完璧。俺、これを使うわ」。参加者たちの目の色が変わった。
同業者たちが作ったカクテルを試飲した参加者たちは次々と大久保さんたち生産者を取り囲み、質問攻めにする。柑橘の栽培法、特徴、旬の時期、出荷価格……。すぐさま5件の取り引きが始まり、「ほかの柑橘も試したいから、連絡します」「今度、畑を見に行きたい」といった会話が交わされる。
実際に柑橘を取り寄せて使った東京・西麻布「BAR 霞町 嵐」のオーナーバーテンダー・竹田英和さんは言う。「いろんな種類の柑橘を仕入れたので、名札をつけてカウンターに並べています。酸味が強いもの、甘味が強いもの、とお客様に好みを聞きながら使えるのがいいですね。香りのいい葉をデコレーションに使えるのも魅力です」。
2月11日には、加藤さんの主催で、ボンタイン珈琲本社のある名古屋でセミナーを開催。会場となった「BAR Kobo」には12人のバーテンダーとバリスタが集まり、やはり独創的なカクテルが次々と生まれた。
愛媛県産のさまざまな柑橘は、カクテルの世界を大きく広げる可能性を秘めていた。そのことを生産者とバーテンダーの両者が実感したセミナーだった。栽培の途中で間引いた摘果や、形や色が悪く一般の流通に乗らない規格外品もカクテルなら問題なく使える。皮はもちろん葉、枝までもが飲み物に彩りを加える。豪雨被害から始まった活動が、バーやカフェをもっとカラフルに変えてくれるかもしれない。
平成30年7月豪雨の被害を受けた中国四国等のの復興に向けた経済産業省の支援プロジェクト。支援対象地域の事業者等を対象に専門家であるプロデューサーが中心となって販路開拓やPRなどの支援事業を実施した。
「HASHIWATASHIプロジェクト」プロデュース支援事務局記事で紹介した「柑橘ソムリエ愛媛の販路拡大プロジェクト」について
お問い合わせ:skankitsu@gmail.com
文:松本えり 写真:宮前祥子/花井智子