
昨年の秋に開催された「焼酎の教室」第3回は、dancyuの焼酎史を語る上で欠かせない焼酎酒場、三軒茶屋の『五臓六腑』の高橋研さん&情(じぇい)さん親子が登壇。プレミアム焼酎が牽引した“第3次焼酎ブーム”から現在に至るまで、エポックメイキングとなった思い入れの深い6本を語っていただきつつ、その焼酎を飲んで味わい尽くす、そう、飲み会です!

dancyuと焼酎の蜜月。それは21世紀の到来とともに始まった。“第3次焼酎ブーム”と呼ばれた当時、その高まりを受けて、夏に組まれる本格焼酎特集も年々と熱気を帯びていく。九州、沖縄、伊豆諸島などへの現地ルポに注目銘柄の試飲会記事、おいしい飲み方指南、合わせる料理、焼酎に愛のある飲食店に酒販店紹介と、毎回ずっしりのボリューム。当時は取材時期じゃなくても、私(ライター鹿野真砂美)もdancyu編集部の焼酎班と一緒に飲み歩いては、次はこういう企画をやりたいね、といった話を常にしていたと思う。

そんなとき、いつも心強い味方となってくれていたのが、居酒屋「五臓六腑」の店主、高橋研さんだ。現在、三軒茶屋で鶏料理、焼きとんなどスタイルの違う5店舗を構えるが、どの店も主軸となる酒は焼酎である。
1999年、研さんが最初に開いた店は渋谷にあった。駅から道玄坂を上がりきった、あやしいピンクのネオンサインが集まる一帯。4坪、カウンター10席の本当に小さな空間は、満席になるとお客さんも研さんも簡単には外に出られなくなるくらいぎゅうぎゅう詰め。いつも店主を含め全員が、がぶがぶと浴びるように焼酎を飲んでいた。dancyuで初めて取材をしたのは2001年のことである。
思い出の渋谷の店はもうなくなったが、三軒茶屋に移転後も、「こうすればちょうどいい温度のお湯割りになるよ」「この新酒、もう飲んだ?」「このつまみが焼酎によく合うんだ」。研さんにはそれはもう、いろいろな企画で相談にのってもらったし、酔っ払いの醜態も(お互いに)さんざん見せてきた。
春から夏にかけては、酒販店が主催する焼酎の会などで多くの蔵元が東京にやってくる。その前後に店へ行くと必ず誰かしら蔵元が飲んでいて、飲みながらいろいろな話を聞かせてもらえたし、そうしてご縁ができたら、仕込みシーズンには蔵見学に出かけて芋切りを手伝わせてもらい、地元の店で遅くまで酌み交わしたり。単に焼酎を飲むだけではなく、その風土を肌で感じるきっかけをつくってくれる場所でもあった。そう、「五臓六腑」は自分にとってのリアル“焼酎の教室”なのだ。

と、前置きがくどくなったが、今回の「焼酎の教室」は、dancyuとは深い縁のある「五臓六腑」と焼酎のこれまでの話。いま現在、店を切り盛りしている息子の情(じぇい)さんと研さんの親子二代に、この20数年の焼酎にまつわる思い出を語ってもらえば、そのまま「焼酎クロニクル」になるのでは?という思惑である。
焼酎に限らずだが、酒は詰まるところ“人”だと思うのだ。造る人だけでなく、それを売る人、飲む人もそう。焼酎を愛し、関わってきた人の心情にスポットを当て、エピソードを語ってもらう今回の教室。テクニカルな話は出てこないのであしからず。
当日の会場になったモツ料理の「てっぽうや 五臓六腑」では、斉藤店長とスタッフの田中さんたちが、参加者のために焼酎に合わせたおつまみセットをスタンバイしてくれていた。鮭のバターソテーにタンドリーチキン、野菜の煮物、アサリとほうれん草のぬたに胡麻豆腐、帆立の幽庵焼きと焼き栗。いやあ、どれもおいしそう。なかには、後で登場する焼酎との思い出に繋がる料理もある。

2人にはあらかじめ、それぞれの思い出や転機に繋がった焼酎を3本ずつ選んでもらった。その話を聞きながら、みんなで実際に飲み、つまむ。はい、つまり飲み会です。

ふと隣を見れば、あれこれと準備に動き回る情さんを横目に、「飲まなきゃ喋れないよ〜」と研さんがさっそくガソリンを注入中。すでにいい感じにできあがりつつある。くれぐれもピー!な話だけはしないようにと何度も釘を刺しつつ、さてはて、どうなることやら。
参加者のクラブメンバーも揃ったことだし、そろそろ始めましょうか。次回、1時限目では、芋焼酎「村尾」で知られる鹿児島・村尾酒造のレギュラー酒「薩摩茶屋」を、研さんが語り尽くします!
文:鹿野真砂美 撮影:伊藤徹也 構成:林律子