3人の子供と、パリ・東京の二拠点生活を送る俳優の杏さん。「幼い頃から食いしん坊!」で、今もつくっては食べて、旅しては食べてを繰り返す日々。そんな杏さんが日頃暮らしているパリや東京、あるいは旅行や仕事で訪れた諸外国での“食の思い出”について語るエッセイ連載です。初回は、杏さんがいかに食いしん坊として育ったかを存分に綴っていただきました!
私は都会育ちで、少し変わった、年にそぐわぬ食いしん坊で、しかしやせっぽちで陰気な子供だった。以下、詳細を記ス。
バブルの残り香漂う平成初期、なんとなく良いものを食べさせてもらっていた、子供時代。小学生の頃、私が「白子やあん肝が美味しい!」とか「もずくが美味しい!」と言っては周りのおとなたちが「将来有望だなあ」なんて笑っていたものだ。有望と言うのは呑んべえの意味だろう。想像してみてください。小学生がもずくにスダチが入っててあ~おいしいな~とか言っているのを。なんと気取った子供だったのだろう……。
おやつは自分で用意する、というシステムだった。
父の故郷は新潟だったからか、餅は正月に限らず、一年中食べるものとして家に常備されていた。磯辺焼きはもちろん、砂糖醤油、きなこ、さらにはフライパンの上にバターを溶かし、餅を並べて弱火でじっくり、餅が中まで柔らかくなってきたらカリッとさせて、醤油をひとまわし、少し焦がして……バター餅をつくってみたり。人参をスティック状に切って、味噌とマヨネーズをディップして食べたり。トマトを切って砂糖をかけて食べるのも、じゃりじゃりとした歯ごたえが好きだった。砂糖といえばカリカリ梅に砂糖をつけながら食べるのも、塩辛さと甘味が合わさって、好きだったな。缶詰のシロップ漬けのミカンは二つ上の兄の分との取り分けになるのだが、どうしたら少しでも自分の分を多くできるか真剣に考えていた。そして、たどり着いたこたえは、自分で取り分けて「あげる」と調整ができるんだな、ということ。妹のワタクシめが用意してさしあげましょう。自分でサツマイモを買ってオーブントースターに入れて、バターをかける。だんだんと溶けていくバターの風味と、まだ溶けていないバターの冷たさの背徳感よ。
思えば毎日、少しずつ、自分の好きなおやつをつくるという行為を通して、つくる楽しさを感じていたのかもしれない。というとなんだかかっこうよく聞こえるが、自分でつくれば、大好きなネギをラーメンにあり得ない量盛ることだってできるのだ。食べたいものを、食べたいとき、食べたいように。華美な食材というわけではなく、つくらないと他では食べられない味という特別感に魅了されていった。アレンジだったり味の再現も実験みたいで楽しい。そのようにして、気取った食の癖を持つ謎の子供が誕生したのである。
さて、中学生になり、地味ながらも食道楽街道をゆっくりと歩み続けていた。休日にはカーペンターズを聞き、自分の世界に浸りながらパウンドケーキを焼いたりしていた。ある日、近所に「濱田家」というパン屋ができたことを知る。寿司屋の居抜きで、のれんをくぐり、引き戸をガラガラと開ける。いかにも寿司屋のたたずまいの中、カウンターにパンが並べてあり、ルーズソックスを履いた女学生の私は「こりゃかっこいい!」と衝撃を受けた。ギャップ萌えというやつだ。雰囲気はもちろんのこと、味も美味しい。驚いたのは白パンだった。当時食パンの耳が得意ではなく、選択制の朝食ではいつもご飯を食べていた。かたや親はパンにコーヒーが中心だったと思う。基本的にはご飯派で、水分を感じるほうが好みだった。「濱田家」の白パンは焦げ目がなく真っ白でまんまる、ふわっとしていてどこからちぎって食べてももっちりとしている。シンプルな生地の素朴で優しい味。パンと言えばバターと言う常識だったのが、どういうきっかけか、「オリーブオイルに塩」という組み合わせに、パンをディップするという食べ方を学んだ私は、この白パンに、小皿にオリーブオイルと塩をかけて食べるのにハマった。毎日のように通っては食べていた。いや、いいんだけど、これ、中学生の過ごし方かしらん。ちなみに「濱田家」は今では品川駅の構内だったり、いたるところに店舗があり多くのところで味わえる。シグネチャーは豆パンらしいけれど、私にとっては思い出の白パンの店だ。

15歳になり、モデルの仕事と出会う。雑誌の冬服の撮影で山梨の森へ行ったら帰りはほうとう、夏服ロケで九十九里浜に行ったらハマグリ、伊豆での帰りは海鮮丼。都内の撮影でもカメラマンの方が「これを食べよう!」なんて言って自分からは普段入れないようなお店で撮影の合間のランチを食べることもあったし、スタジオに置いてある出前のファイルを見ては「今日はこれかな、あれかな」なんて皆で相談することもあった。そうそう、出版社のある神保町はカレーの聖地だ。私は辛い物が苦手だったけれど、神保町で働くことによりカレー、伊豆に行くことによりわさび、はたまたミラノコレクションに出演したことで飲めなかったコーヒーを好きになることに成功した。この段階で私の中で食べられないもの、というのは基本的に消失したように思う。
十代の終わりから一人暮らしも始め、本格的に自炊生活となる。今の時代ちょっと早い自立だったかもしれないが、食に関してはわくわくしっぱなしだった。友人を招いてつくった食事を食べてもらう、というのはこの頃から大好きだった。引っ越しの記念にと、買ったばかりのテーブルの上を粉だらけにしながらつくった「そどん」。そばのつもりだったがどうにも細くならないために、見た目はうどん、中身は蕎麦という、『名探偵コナン』のようなミステリアスな麺になった。おせちもつくってみようと、ぐるぐるの一口コンロで田作りに挑戦したはいいものの、水あめと小魚の配分がうまくいかずにすべてがくっついた巨大な塊ができあがったり。食紅をうっかり多く入れてしまいショッキングピンクの桜餅をつくったりした。そうそう、この頃は煮込み料理は熱した鍋に蓋をして、さらにバスタオルでぐるぐる巻きにして床に置いていたっけ。焦げにくいし、保温効果で火が通るし、電気代の節約にもなり、また台所のスペースが空くので他の料理にも取り掛かれる。生ごみを紙袋に入れてしまい底が抜けて大惨事になったり、エレベーターの無いアパートだったので、海外出張のたびにスーツケースを階段で上げては下ろし……。
いつのまにか私は「杏」という女優・モデルとして活動するようになった。漫画、ゲーム、あとはつくって食べることが大好きなインドア極まれりみたいな性格だったので、古くから知る友人たちは未だに信じられないと言う。

20代後半、朝ドラの主演に決定した。タイトルは「ごちそうさん」。食いしん坊の女性の一代記が150話にわたって描かれる。数あるテーマの中でもこの役を仰せつかったことは、何たる天運。興味がある。独学ながら経験も多少ある。もちろんきちんと学校などの機関で習った経験こそないものの、好きこそものの上手なれ。「杏さんは手指の形が特徴的だから、手元の吹き替えは難しいと思う。料理のシーンは全てご自身でやっていただけますか」。こんな嬉しい提案は無かった! 明治生まれの女性で、華やかな大正浪漫。洋食屋。関東と関西の料理や文化。震災や戦争。さまざまな場面であらゆる料理を経験させてもらった。今は両刃の文化包丁だが、当時は片刃の包丁。野菜は菜切り包丁、魚は出刃包丁、昆布と鰹節で出汁をとる。時代とともに変遷する食事のマナーや習慣。当時何を食べていたか。どうつくっていたか。全てにおいて興味があることを、演技を通して学んで追体験できる。何よりの経験だった。このドラマを経なかったら、魚をさばいたり、ぬか漬けに挑戦することもなかったかもしれないし、興味があっても分からないところで足踏みし続けていたかもしれない。
私は毎週、配られる一週間の撮影スケジュールを熟読し「このシーンは食べるシーンかどうか」「タイミング的に昼ご飯として摂取できるか」などをチェックしていた。思いっきり食べ、カットがかかって撮影が終わったら、残ったそれも食べれば、昼休みは改めて食堂に行かずに済む……限られた休み時間の中で着付けやメイク直し、歯磨きやセリフチェックの時間をさっぴくと、正味食事をとる時間は10分程度しかないのだ。そこでフロアの異なる食堂に行って注文し……というのも大変なので、撮影で食べられないときは弁当を持参していた。
とにかく大変な現場で有名な朝ドラだが、私はご飯がテーマだったからこそ乗り越えられたのだと思う。この作品で親子役で共演した財前直見さんからは出産祝いで電気圧力鍋をいただき、さらに料理の幅が広がり……なんて話はまた別の機会にするとして、そう、ここまで読んでなんとなく察していただけたかもしれないが、なんとここdancyuで食に関するエッセイを書き始めることになった。

話が前後するが、dancyuとの出会いはやはり(何がやはりなのか)中学生だった。親が買ったのだと思う、忘れもしないdancyu2000年3月号のパンケーキ特集。パンケーキと言えば買ってきたホットケーキミックスに牛乳と卵を混ぜてつくるのが定番だったのが、小麦粉やベーキングパウダーを調合し、さらにそのレシピにはプレーンヨーグルトを使うと書いてあった。それにより甘さがぐっとおさえられた、もちもちの生地のパンケーキになるのだ。少し薄めに焼いて、バターとメープルシロップをかけていただく。材料は品数も少なく、どれも身近なものなのに初めての体験が待っていた。驚くほどおいしい。人数ごとの分量のメモを書き込んだりして、ずいぶんとつくったものだ。今はスマホで簡単にレシピの検索ができるけれど、その当時は本とかテレビくらいだった。大好きなレシピに出会うと、宝物のように自分の中に蓄積されていくのだ。購読歴はここから始まり、ムック本も出るたびにわくわくしながらページをめくっていた(お気に入りはパスタの本!)。そんなdancyuに、私が文章を書いているだなんて。食いしん坊冥利につきるのではないか。
私は現在3児の母だが、子供たちも小学生ながら「蕎麦はまずはそのままで」とか言いながらつゆにつけずに啜ってみたり、「山椒って挽きたてだと香りが良いよね」とか言いながらミルで挽いたりしている。母が歩んだ立派な食いしん坊の道をしっかりと追いかけてくれている……。いいんだか、どうなんだか、なんて苦笑いしながら。
相変わらず貪欲につくっては食べて、旅しては食べてを続けている。大好きな食だからこそ語ってみたいけれど、食の道は果てしなく広大で、誰もが身近に感じるテーマ、それを文字で表現するというのは大いなるチャレンジだ。だってここは食いしん坊の国、日本。これより、杏の食いしん坊エッセイ、はじまり、はじまり!
文・イラスト=杏