僕らが尊敬する昭和next.
グリルさんばんとスプレンディド2/2

グリルさんばんとスプレンディド2/2

料理人として、自分の原点は亀有にある。そう語るのはリストランテ「オステリア スプレンディド」のシェフ、小早川大輔さん。彼が作るのは繊細で華やかなイタリア料理だけど、「グリルさんばん」のほっとするおいしさや、中華料理人の父と巻いた肉まんづくりの楽しさ。同じ料理人として、大切なことは亀有の大先輩たちから教わった。

登場人物

昭和/グリルさんばん
僕/小早川大輔 “オステリア スプレンディド”

なぜか亀有、スナックの居抜き物件。

土屋治幸さん

昭和48年、土屋治幸さん、治子さん夫妻は横浜で独立した。店名は、閉店する店から譲ってもらった食器やマッチに「グリルさんばん」と書いてあったから。「ただただ店を持ちたい」一心で、それ以外には贅沢を言わない。
4年目に高速道路の開通で立ち退きとなったときも、渋谷の不動産屋に紹介されたのが、なぜか葛飾区亀有。縁もゆかりも知人もない町だけどすんなり決めている。窓もなければ、重そうな木製のアーチ扉で入りづらいことこの上ない、元スナックの物件だった。

案内板

当初、日本語とフランス語、英語も併記したメニューは「気取ってる」やら「高すぎる」と文句を言われ、書いていないのにうどんやお新香を求められる。ありませんと断れば「長持ちしないよ」と不吉な予言。
それでもめげなかったのは、治子さんのほうだ。
「私はお新香も漬けますけど、お金をもらえるお新香はできませんってね。お客さんに合わせるんじゃなくて、“うちはこういう店です”って崩さないほうがいい。うちに合ったお客さんに来てもらったほうが、結局続くと思うの」
治子さんの歯に衣着せぬトーク力と、厨房で黙々と作り続ける治幸さんのコントラスト。夫妻と店と洋食は、やがて町に根づいていく。

コルクボードに貼り付けたメニュー

82歳、ひとりで作るデミグラスソース。

「グリルさんばん」歴30年以上の小早川大輔さんは、愛される理由をこう考える。
「ご夫婦のコンビがいい。でも、何よりやっぱりおいしいんです」
彼の好物、チキンカツは「肉汁がじゅわっと出て衣にしみ込み、さらにデミグラスソースと混ざって何とも言えない味と食感になるところがポイント」だそうだ。
このデミソース、一度焼いた牛すじ肉と鶏ガラを香味野菜などと一緒に4~5日煮込み、濾して、新たな肉とガラを投入、途中トマトのピュレホールや水煮ホールも加えながらさらに1週間煮込んだもの。デミだけでなく、ソースはタルタルもベシャメルもマヨネーズも自家製だ。
御年82歳、治幸さんはこの仕事をたったひとりで続けている。

デミソース

恩師である村上シェフは「料理は愛情」が口癖だった。では、その「愛情」とはなんだろう?治幸さんは「忠実に」と受け取っているそうだ。
もちろんホテルのフランス料理と、街場の洋食ではまるで違う。オニオングラタンスープの玉葱をバターで飴色に炒める作業も一人では手が回らないし、スープに仔牛の骨付き肉といった高級食材を使うわけにもいかない。
けれど、玉葱の甘みとコクを出すという目的ならば、炒める代わりに揚げて工夫する。仔牛でなく牛のひき肉や鶏のガラでも、弱火で数日かけて炊いて旨味を引き出せば十分おいしいスープになり、土屋さんはそれを卵白で丁寧に澄ましている。そういう仕事を、忠実に。

料理

完食してくれたお皿に、ありがとう。

「それでもうちは下町の洋食ですから、味はしっかりさせます」
自家製のコンソメスープにあえて市販のブイヨンも加え、スープを吸わせるパンにはバゲットより甘みのあるロールパンを使い、チーズは濃厚なエダムだ。
小早川さん曰く、このオニオングラタンスープの香りは、たとえるならパリのパン屋の幸福感。店の前を通ったときにバターの香りが漂ってきて「幸せだなぁ」と思うあの感じに似ているそうだ。

オニオングラタンスープ

注文が入ってから作るため少々待つが、むしろ願ったり。厨房からコンソメの香りがして、それが近づいてくるわくわくを味わえるのだから。で、いざ料理がテーブルに載るとあっという間にぺろりと平らげるのだ。
料理人の幸せは、そういうお皿を受け取ることだと治幸さんは言う。
「完食したきれいなお皿が返ってくると、ついお皿に向かって“ありがとうございます”って言ってしまうんです」

小窓から見える厨房

小窓の向こうでそんなことが行われていたとは知るよしもなく、食べっぷりのよかった少年は町を出てイタリアのあちこちに行き、料理人になった。
「だけど僕の原点といえば、亀有。『グリルさんばん』のおいしさ、あとは、父と一度だけ一緒に巻いた肉まんの楽しさも。今の僕があるのは、そういう記憶のおかげです」
料理人とは、おいしくて楽しい幸福を与える仕事。恵比寿でも亀有でも、イタリア料理でも洋食でも、それは不変だ。

土屋さん夫妻

――「グリルさんばんとスプレンディド」おしまい。

グリルさんばんのこと
グリルさんばん Grill Sanban/昭和48年創業

土屋治幸さんは昭和13年生まれ、静岡県沼津出身。ちょうど村上信夫シェフがフランスから帰国した年に帝国ホテルへ就職。スープ部門、オードブル部門など順調に経験を積み、村上シェフがレギュラー出演するNHK『きょうの料理』などの料理番組にも帯同、裏方として料理を作っていた。
同じ帝国ホテルでサービスを務める治子さんと結婚し、昭和48年に横浜で洋食屋「グリルさんばん」を開店。昭和52年、葛飾区亀有へ移転。亀有は空襲被害が少なく、焼け野原となった浅草など下町から移り住む人が増えたため、下町気質の色濃い土地柄。初めは洋食屋を遠巻きに見ていた人々も、一度気に入ると長く通ってくれた。
令和2年、この町で43年を迎える今、商店街はずいぶん高齢化した。1ヶ月先の貸切予約が入ると、治子さんは「お互い生きていたらね」と返し、お客もお客で「死んだらあの世からキャンセルの電話をするよ」と笑い合う。このやりとりが、ザ・亀有なのだそうだ。
治幸さんは、毎年暮れには常連たちからの注文でローストチキンを焼く。オーブンは1台だから4羽ずつ、50分かけて油を回しかけながら焼いていくチキン、昨年はなんと98羽だ。
ホテル時代の仲間はみんな引退したが、「老け込んじゃうのは嫌だから、動けるうちは現役でいたい」と60歳からプール通いを始め、カラオケ大会では常連。治子さんもお店に立つのが大好きで、根っからの人好き。
「町は変わったけど、新しいマンションが建って若いお客さまが増えたのよ」
土屋夫妻は、柳のようにしなやかである。
置物の棚

店舗情報店舗情報

グリルさんばん
  • 【住所】東京都葛飾区亀有5‐15‐9
  • 【電話番号】03‐3606‐3840
  • 【営業時間】17:00~22:00頃(ライスがなくなり次第閉店)
  • 【定休日】月曜
  • 【アクセス】JR「亀有駅」より2分

文:井川直子 写真:鈴木泰介

井川 直子

井川 直子 (文筆家)

文筆業。食と酒まわりの「人」と「時代」をテーマに執筆。dancyu「東京で十年。」をはじめ、料理通信、d LONG LIFE DESIGN、食楽ほかで連載中。著書に『変わらない店 僕らが尊敬する昭和 東京編』(河出書房新社)、『昭和の店に惹かれる理由』『シェフを「つづける」ということ』(ともにミシマ社)。2019年4月にインディーズ出版『不肖の娘でも』(リトルドロップス)を刊行。取扱い書店一覧、ご購入方法はホームページ(https://www.naokoikawa.com)からどうぞ。