世界の○○~記憶に残る異国の一皿~
パワフルな中国の飲食店街|世界の炒め物②

パワフルな中国の飲食店街|世界の炒め物②

2022年10月号の特集テーマは「きちんと美味しい 炒め物」です。旅行作家の石田ゆうすけさんは、世界一周旅行の終盤に中国に訪れました。中国の旅に関して、旅人仲間からは良い評判を聞いていなかったので身構えていたとのことですが、実際に訪れてみると――。

心躍る中華鍋の音

もうひとつ、中華鍋の話を。
僕は北中南米、ヨーロッパ、アフリカ、という順で各大陸を自転車で走り、そのあと最後にロンドンから日本に向かってアジアを横断したのだが、そのルートで最初に中華鍋を見たのは、前回書いたとおりアフリカだった(揚げ物をつくるのに使われていた)。で、次はというと、そこから約1万5000km走ってやっと着いた中国なのである(その後、東南アジアでも見た)。
つまり、こんな使い勝手のいい調理器具が、中華圏や東南アジア、そしてアフリカ以外では見なかったわけだが、そのことは常々抱いている疑問とつながっている。なぜ「炒める」という簡単な調理法が、アジアの東側以外では普及しなかったのだろう?
理由はわからないが、とにかく僕は日本を出てから中国に着くまでの約6年間、外食で炒めものを食べることはなかった(各国の中華料理店は除く)。ありがたいことに各地で地元の人たちから家に招かれたが、家庭の食卓も同様で、炒めものが出されたことは一度もなかった。

ところで、ひと口にアジア横断といっても、そのルートはいくつかある。僕はトルコからシリアやヨルダンなど中東に寄り道したあと、再びトルコに戻ってイランに入り、そのあとウズベキスタンやキルギスなど中央アジアを通って、中国に向かった。つまりトルコからはずっとイスラム圏だった。
宗教上、飲酒がタブーなせいかイスラム圏では外食産業があまり発展していない(欧州に近いトルコは例外だけど)。バリエーションが少ないからすぐに食傷するし、食堂の数自体も少ないから、飲食店がごちゃっと集まった賑やかさはほとんど見なかった(バザールの賑わいはたくさん見たけれど)。
そういう地域を8ヵ月あまり旅したあと、ようやく中国が近づいてきた。
カザフスタンと中国のその国境には日曜に着く予定だった。そこへ思いもよらぬ情報が入った。日曜は中国側のオフィスが休みだから国境越えができないというのだ。
どんな国境だよ!と心の中で突っ込みながら、これまで聞いてきた数々の噂が頭をよぎり、「やっぱり中国だな」と思った。

アジアを東へ東へ日本に向かって旅していると、日本からヨーロッパ方面に向かう"アジア西進組"にたくさん会う。そんな彼らから聞く中国人の印象は散々だった。無愛想、不親切、横柄、鉄面皮、がめつい、エトセトラ。「旅の最後が中国ですか。ご愁傷さまです」と本気で僕を憐れむ者もいた。

自転車をぶっ飛ばしてなんとか1日早め、ぎりぎり土曜の夕方に国境に着いた。
カザフスタン側で出国印をもらい、中国側に入る。人の少ない田舎の国境だった。荷物満載の自転車を押している僕は一斉に注目を浴びる。不条理や無礼には毅然と臨め。僕は気合を入れ直して係官の前に進んでいく。係官は僕の自転車を見ながら、人のいい顔で笑った。
――え?
彼は中国語で何か言った。分からず立ち尽くしていると、女性の係官が「バッグの中を見せて」と英語に訳してくれた。自転車には6つのバッグがついている。全部出して仕舞うとなると時間がかかる。
「もう時間が遅いから、どれかひとつ選んで」
中国に弱気になるな。戦闘態勢で臨んでいた僕はそう主張した。
女性はふっと眉尻を下げ、困った顔をした。それから男性係官と話し合ったあと、「じゃあひとつ選ぶわよ」と微笑み、後輪の横のバッグを指差した。拍子抜けした思いでバッグを開けると、妙なにおいがする。まさか。バッグに手を入れると中がヌルヌルしている。慌てて衣類をかきわけ、シャンプーを取り出すと、キャップが割れて中身が大量に漏れ、衣類の下のほうがベタベタになっていた。やっちまった。顔をしかめていると、彼女はどこからかレジ袋を持ってきて、「これに入れなさい」と少女のように微笑んだ。ほかの役人たちもみんな優しい目でこっちを見ながら、「もういいよ、通りなさい」と手を振って出口に誘導するのだ。
......全然話と違うやないか。
僕はさっきまでとは打って変わって愛想笑いをしながらみんなにぺこぺこ頭を下げた。みんな「いいからいいから」とやはりニコニコしながら「通れ通れ」と手を振るのだった。

国境を出て、田舎道を走る。車のほかに荷物をのせたロバ車も往来していて、みんな自転車と僕を見る。人々の表情はやはりにこやかなのだ。
やがて前方に街が見え、その中に入っていくと漢字の看板があふれ、体が火照った。

安宿に投宿し、部屋に荷物を置いたあと、晩メシを求めて入り組んだ路地を入っていった。
下町のようなエリアだった。肌着姿のおじさんたちが歩道で中国将棋をしている。
ある通りに入ると、道路の両側を埋め尽くすように食堂がごちゃっと並んでいて鳥肌が立った。どの店も道路側に窓を開放した厨房があり、通りを行く人に見せるように料理人が中華鍋を振っている。野菜を炒める香りが漂い、カンカンシャーシャー!という中華鍋とお玉の当たる音があちこちの店から鳴り響き、通り全体が沸き返ったようだった。
僕はお尻に羽が生えて浮かびそうなぐらい舞い上がった。イスラム圏に8ヵ月以上もいたからなおさらだ。いや、考えてみると6年ぶりかもしれない。日本を出てから約6年、北中南米、ヨーロッパ、アフリカ、どこにもこんなパワフルな飲食店街はなかった。
足が地に着かず、酔ったようにふらふら歩いた。四方八方から鳴り響くカンカンシャーシャー!という中華鍋の音が、国境の役人たちの眼差しや笑顔同様、僕を温かく迎えているように感じられて仕方がなかった。

このあとの話は前に書いたので詳細は割愛するが、麻辣豆腐を食べてその旨さに衝撃を受け、涙すら浮かべそうになった。
そのあと、この国を計5ヵ月旅することになるのだが、旅の最後が中国でよかった、と僕は心から思えた。人々の印象が僕にはとてもよかったし、何より"食こそ命"の自分には中華鍋の音が通りにあふれるあの高揚感やワクワク感がこのうえもなく幸せだったのだ。

どうでもいい補足。

中国のあとはパキスタンに抜け、インド、東南アジアと巡り、ベトナムからまた中国に入った。その2回の中国訪問の合計として、「計5ヶ月」と表記している。それと、2回目の訪問時に中国を横断したあとは船で韓国に渡り、韓国を縦断したあと船で日本に戻ったので、厳密にいえば最後の訪問国は韓国だった。ほんとどうでもいい話だけど。

※トップ画像は台湾の写真です。

文:石田ゆうすけ 写真:中田浩資

石田 ゆうすけ

石田 ゆうすけ (旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。