世界の○○~記憶に残る異国の一皿~
"秘境カレー"と聞いて蘇る恐怖体験|世界の美しいカレー②

"秘境カレー"と聞いて蘇る恐怖体験|世界の美しいカレー②

2022年9月号の特集テーマは「美しいカレー」です。旅行作家の石田ゆうすけさんはインドを旅する中で秘境といえるような場所に訪れました。なんとか食堂につき、食事を終え休んでいると、恐ろしい体験をすることに――。

快適な宿だと思っていたけど……

今月のdancyu本誌には「秘境カレー」という紀行っぽいページもあり、僕も和歌山県かつらぎ町の店「鳥唄山馨」に行ったときのルポを4ページ書いている。
取材前に編集者から話を聞いたときは「秘境ってまた大げさな……」と内心鼻で笑っていた。僕は和歌山県出身だ。かつらぎ町のことはよくわからないけど、まあ多少山が深いぐらいで、たかが知れているだろう。

で、行ってみたら青ざめた。詳しくは本誌を読んでいただければ幸甚ですが(巧みな誘導)、あまりの道の険しさにレンタカーを脱輪させ、JAFを呼んでクレーンで引き上げてもらうといった、まさに秘境と呼ぶにふさわしい……あ、いや、僕が運転下手なだけで、普通に運転できる人なら大丈夫だと思います。たぶん。

では、海外で僕が体験した「秘境カレー」のエピソードはというと、険しさではこの和歌山の店に劣るが、恐怖度ではおそらくはるかに上をいっていると思う。なかばトラウマと化し、身の毛もよだつシーンが今でもことあるごとに眼前に蘇ってくるのだ。

インドも自転車で旅をし、辺鄙なところを巡ったのだが、都市部より田舎がいいという個人的な嗜好は、ことインドにおいてはより顕著になった。
都市部に泊まる場合は、当然キャンプはできないから、宿を求めて中心部へ向かう。するとだんだん人と車とリキシャ(自転車タクシー)が増え、やがてそれらが道を埋め、渋滞する。ひどいときは道路全体が満員電車のようになって身動きが取れなくなる。それなのに後ろからリキシャ乗りが「早よ行けよ」とばかりジャリンジャリンとベルを鳴らし、リキシャのタイヤを僕の自転車にガンガンぶつけてくる。「動けへんの見たらわかるやろ!〇〇〇!」と僕は大人げなくブチ切れてしまう。

そんなことを何度か繰り返したあとで、ようやくあることに気付き、そこにばかり泊まるようになった。町から離れた街道沿いに立つ、トラックドライバー御用達の食堂だ。
店の前には日よけや雨よけになるうっそうとした大木があり、その下に床几や、四角い木の枠に荒縄の網を張った“網ベッド”がいくつも置かれている。それに座って食事し、食後は横になって昼寝する。夜は仮眠所にもなる。食堂の横には行水場があり、トイレも外にある。僕が宿に求めるものはすべて揃っているのだ。でも宿じゃないから宿泊代はとられない。店で食べるだけで一夜を過ごすことができる。寝るのはたいてい屋外(木の下)になるが、なかには東屋のように屋根がついている場合もある。いずれにしても、快適で安全(下手すると街中の安宿より)、自転車から荷物を外さなくていいし、食堂の人たちとも仲良くなれる。何より街のカオスに巻き込まれなくて済む。しかも無料。もう迷う理由がない。見たいものがあって街に入っても、夕方になったら街を出て、道沿いの食堂に泊まった。

あるとき、山あいの秘境然とした道を走り、日が暮れ始めてからも食堂どころか人家一つ現れないので焦っていたところ、真っ暗になる直前になんとか1軒の店が現れた。草で屋根をふいた、食堂というより納屋のようなあばら家だったが、店の前の大きな木のまわりには網ベッドや床几がたくさんあった。

いつものように野菜のカレーとご飯を食べる。特別感動するほどの味ではない。南インドは比較的旨いと聞くが、ここは北インドだ。北インドの田舎を巡り、安食堂でばかり食べていたら、「旨い!」と叫びたくなるような経験ってどれくらいできるんだろう。僕は約1ヶ月旅して1回だけだった。

このときも淡々と食べ終えると、網ベッドに横になって本を読んだ。木の枝に蛍光灯がくくりつけられているから、山間部の屋外でも字が読める程度には明るい。
突然、本の裏側から5mm程度の小さな黒い物体が現れ、紙面をテテテテと歩き出した。ゴキブリと三葉虫を足して2で割ったようなルックス。パン!と瞬間的に本を閉じ、それから中を開けると見事、黒い押し花ができていた。
南京虫だ。トコジラミともいう。その名のとおり床(トコ)に住み、人の血を吸う。そして蚊やダニの比ではない痒みを置き土産に残していく。僕の知る限り世界最強の痒さだ。しかも痒い期間が長い。数ヶ月続くこともある。まさにトラウマレベルの害虫である。急いで手足をチェックしたが痒みも来ないし、噛まれた跡もなかった。やられる前にやったか。

ホッとしつつ、本を読み始めると、テテテテ、とまたもや南京が僕の腕を這っているではないか。慌てて振り落とし、網ベッドから飛び降りた。ベッドを注視すると、網の荒縄が一部、黒ずんでいる。まさか……。懐中電灯を取り出し、恐る恐る顔を近づけ、縄の繊維の中を照らしてみると、「NOOOO!」。
いるわいるわ、まるでダクトの中を蠢く無数のエイリアン(『エイリアン2』の名シーン)。僕は発狂し、人目もはばからず火炎放射器で……ではなく、Tシャツを脱いだ。すると白いシャツのあっちやこっちを黒い点々がいくつもテテテテと這いまわっているのである。
「キョエーッ!」
半狂乱になってTシャツを振り回していると、店主がやってきて言った。
「そっちは虫がいるだろ。こっちの床几で寝なよ」
知ってたんだったら先に言ってくれえええっ!

以上、「秘境カレー」の話でした(どこが?)。

文・写真:石田ゆうすけ

石田 ゆうすけ

石田 ゆうすけ (旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。