畑と(日本)ワイン。――土と生きる、新時代の造り手たち
標高950m、天空の大地に拓かれたワイナリー|「テールドシエル」桒原一斗さん【vol.2】

標高950m、天空の大地に拓かれたワイナリー|「テールドシエル」桒原一斗さん【vol.2】

新時代の日本のワイン造りの最前線を、ワインジャーナリストの鹿取みゆきさんが追っていく新連載。 第一回目の長野・小諸「テールドシエル」桒原一斗さんは、煌めくエキス感、伸びやかな酸と静謐感があるシャルドネで一気にワインラバーたちの心を魅了しました。そんな桒原さんのワイン造りへ込めた思いを聞きました。 ※この連載はdancyu本誌にもダイジェストを掲載しています。

標高950m、天空の大地に拓かれたワイナリー

テールドシエル=天空の大地、という名の通り、ワイナリーがあるのは標高950mの斜面。これは日本でも例外的な標高の高さになる。

「標高が高く、斜面にある畑では、吹く風は冷たいが、陽の光は強い。
昼夜の寒暖差も大きい。ここなら酸が落ちることなく、葡萄のゆっくりとした成熟が可能になる」

この糠地という地区を初めて訪ねた時、桒原さんの心は躍ったという。

景色
西南西斜面の葡萄畑のてっぺんからは、素晴らしい夕景が望める。畑の隣を流れる深沢川は、眼下の千曲川に繋がる。「深沢川や標高の高さによる夜温の低さなどが影響し、糠地の畑では霧が出やすい。そのため貴腐菌がつくこともあるんです」。ユニークな地形だ。

近年、世界中のワイン産地は気候変動の脅威にさらされている。
「50年後にはブルゴーニュでロマネ・コンティが造れなくなるかもしれない」。2018年のマスターオブワインのシンポジウムでは、Wine Grapesの共著者でもある著名な研究者がこう発言した。より北へ、より高い標高へと、冷涼な土地を求める造り手も出てきた。
日本とて例外ではない。
気候変動の影響を受け、高温障害、酸の低下などが問題となっている。他の土地に比べて夜温も低く、冷涼な標高の高い糠地では、これらの問題に悩まされることもない。

手前がピノ・ノワールで向こうに見えるのがシャルドネとメルロ。現在栽培しているのは、白用品種が6品種、赤用品種が4品種と合計10品種になる。
3月の末になると、オオイヌノフグリが真っ先に咲き出し、畑一面を覆う。水色の小さな花々が春の訪れを告げてくれる。葡萄が目覚めるのももうすぐだ。
最も斜度がきつい区画には、主にシャルドネとメルロが植えられている。この斜面を登り切った左手にワイナリーがある。

何も足さない、何も引かない、自然に委ねるワイン造り

この地のテロワールをワインに映し出すために、桒原さんが目指しているのは、どんなワイン造りなのだろうか?

「何も足さず、何も引かずに、葡萄のみからワインを造りたい。人がなすべきは、葡萄がなりたいワインになるように見守るだけ」

と桒原さんはいう。

つまり発酵は、葡萄の木、畑の土、そして畑を飛び回る虫たちに住み着いている野生酵母に委ねる。例えば白ワインなら、培養酵母を加えずに、房ごと搾った果汁が自然に湧きつくのを待つ。発酵を促す添加物は一切加えないし、味わいを調整するために糖や酸を加えたりもしない。

通常、ワインに添加される亜硫酸も無添加だ(亜硫酸無添加のことを”サンスフル”、正確にはsans sulfites ajoutesと呼ぶ造り手たちもいる)。
亜硫酸は、ワインにとって不具合な微生物の活動を抑えたり、ワインの酸化を防いだり、色素を安定させたりするなどの効果があると言われている。
しかし桒原さんは

「たとえ少量でも亜硫酸を加えてしまうと、ワインを飲んだ時、思い浮かべられる景色が狭まってしまう」

とあくまで「何も足さない」ことを貫いている。

桒原さん
醸造所では、温度管理を徹底するなど葡萄がワインになっていく環境を整えることに心を砕く。しかし造り自体で人為的な関与はしない。人の手が入れば、それだけ葡萄がもつ何かが削ぎ落ちて、人がつくり込んだワインになってしまうという。唯一の例外が収穫時だ。「いろいろな人に来てもらい、葡萄の収穫への喜び、葡萄への感謝を込めて、皆で笑い合い、作業をします。そのパワーもすべてワインになると思うんです」。

もちろんそのための努力は怠らない。
ワイナリーでは、果汁の移動を短くするため導線を工夫する。葡萄やワインに負担がかかるポンプはいっさい使わず、基本的には重力によって移動させる。さらには温度管理を徹底するなど、繊細な気遣いを積み重ねている。
人がコントロールするのではなくて、あくまで葡萄に寄り添う。
次回は、そんな桒原さんが、一番大切にしてるという畑の仕事について見ていきたい。(vol.3に続く)

フランス・ジュラ地方のナチュラルワインの名手、ピエール・オヴェルノワのシャルドネのワインを飲んで感動したという桒原さんのワインは、自然な甘露のようにピュアでハーモニックな味わい。
ワイナリーで使う樽は、業者を通じて、全てブルゴーニュの古樽を集めた。ワインの果実味に樽の風味が過度につかないように、新樽はいっさい使っていない。また、プレス機のすぐ近くに樽をおいて、移動距離も極力短くしている。
プレス機
シャンパーニュ地方ではよく使われている垂直式プレス機を使用。例えば白葡萄の場合、房ごと、垂直方向にゆっくりと絞る。プレス機はコンクリートの台の上に設置し、重力で果汁を動かす。ポタポタとしたたり落ちる果汁はとてもピュアなものになる。
タンク
極小のタンクを揃えて、糠地一帯でワイン造りを目指している生産者たちから、小ロットで委託醸造も請け負っている。造り手たちが集い、糠地という土地がいつかワイン産地になることも願っている。

文:鹿取みゆき 撮影:木村文吾

鹿取 みゆき

鹿取 みゆき (フード&ワインジャーナリスト)

かれこれ20年前に始まった新しい日本ワインのシーンに寄り添い、造り手たちとともに現在の姿まで築いてきた。人呼んで“日本ワインの母”。近年、日本における持続的なワイン造りのため、(一社)日本ワインブドウ栽培協会を設立。著書に『日本ワイン99本』(プレジデント社・共著)、『日本ワインガイド』(虹有社)など。