世界の○○~記憶に残る異国の一皿~
「庶民の料理」が世界を広げる|世界の旅⑤

「庶民の料理」が世界を広げる|世界の旅⑤

旅行作家の石田ゆうすけさんに、本誌の特集と連動して世界の「食」の思い出を語ってもらった連載「世界の○○~記憶に残る異国の一皿~」は今回で一旦おしまいです。2020年から3年間、特集テーマから広がる数々の魅力的な異国の料理をご紹介してきました。その最後を飾る一皿とは――。

4年ぶりの海外旅行

それなりにたくさん旅をしてきたせいか、あるいは旅が(ありがたいことに)仕事になっているせいか、僕は旅への渇望が人より少ないかもしれない。書斎で仕事をしている状態がわりと幸福で、旅に出るより原稿を書いていたかったりする。
ところが、世界的パンデミックで自由が制限されると、途端に息苦しさを覚え始めた。外の空気を吸いたい、広い世界に飛び出したい、切にそう願う自分がいる。飽食の時代は、食べられることのありがたさを忘れているのだ。

その希望が、先日ようやく適い、コロナ禍以降初めて、4年ぶりに海外に行った。
行き先はこれまで未訪だったスリランカだ。
去年は財政破綻に反政府デモの勃発、大統領の国外逃亡、と荒れに荒れ、治安悪化が心配されたが、いざ行ってみるとまったく問題がないどころか、治安も人も最高によく、おまけに人々の親日っぷりは呆気にとられるほどだった。行く先々で、日本人かと聞かれ、そうだと答えると笑みがこぼれ、「俺は日本で働いていたんだ、日本ではとてもよくしてもらったんだ」などと言って、時にアイスやジュースをご馳走してくれたりする。

茶畑の谷からそびえる5連岩

この国を、僕はいつもやるように自転車でまわった。観光地だけを訪ねるのではなく、道中の何もない田舎も見てまわりたかったからだ。
面積は北海道の約80%と、自転車で一周しようと思ったら1ヶ月はかかるほど広いのだが、それでもやはり島国だからか、都市部以外はのんびりしたムードが漂い、交通マナーもいい。それに思いのほか景色も優れていた。特にセイロンティーの産地、中央高地は、山や谷が何十キロも茶畑に覆われていて、それだけでもきれいなのに、谷底から巨大な岩山がいくつもそそり立っていたり、パステルカラーの湖が広がっていたりと、美景が続くおかげで、自転車は単なる交通手段ではなくレジャーとしても大いに楽しめた。

茶畑の高地に広がる貯水池

スリランカを旅先に選んだのは、どうしても見たい遺跡があったからだが(シギリヤロックという遺跡で、これがとんでもなかったのだが、本稿の主題から外れるので割愛)、もうひとつの理由はカレーだった。
日本の昨今のいわゆるスパイスカレーの発展ぶりは今さら語るまでもないが、それらを食べているうちにあらためて本場のカレーを食べてみたくなった。
「インドのカレーってそんなに旨くないよね」という話をすると、「南インドで食べていないでしょ」とカレーマニアから言われたことが何度かあった。
確かに僕は北インドしか行っていない。南が旨いなら、スリランカのカレーも旨いんじゃないか。実際そういう話も聞く。

で、行って食べてみたら、「個人の感想です」というお決まりのフレーズをつけなければならないが、正直、最初はそんなに旨いと思えなかった。ご飯に色とりどりのカレーが数種類のせられるので見た目はいいのだが、食べるとサラサラのカレーは辛味が強いばかりで、スパイスの香りも旨みも日本のスパイスカレーには及ばない。まずくはないのだけど、なんというか感動がない。

もっともそれは、野菜系のカレー&ライスが一皿150円ぐらいの、出来合いのカレーをかけて出す大衆食堂でばかり食べていたからかもしれない。ちゃんとしたレストランだと値段が5~6倍に跳ね上がったが、そのぶん桁違いに旨かったから、やはりどの国でも、どんな料理でも、素材と手間である程度味は決まるんだなと思った。

カレー

ただ、"異国の味"を左右する要素はもう一つある。
ある日、ある田舎で大衆食堂に入り、いつもの約150円の野菜カレーを頼むと、「スプーンはいるか?」と聞かれた。それまでは頼まなくてもついてきたのに、珍しい。僕は「いらないよ」と答え、地元の人たちと同じように手で食べることにした。
この"手食"は、見た目より難しく、コツを知らないとスムーズに食べられないのだが、僕はインドでマスターしている。久々にやってみると、指にご飯の粒々が感じられ、味が立体的に立ち上がり、あれ?と思った。
4本の指先を丸めてすくい、親指でシュッと押し出して口に入れる、その動きがどんどん早くなって、まわりで食べているおじさんたちの動きやテンポと同調していった。
「旨いなあ......」
ああ、そっか、と腑に落ちるものがあった。そんなつもりはなかったが、僕はこれまで無意識に日本のスパイスカレーを追っていたのかもしれない。パンデミック以降、長く外の風に当たらず、感受性が沈殿し、固まって、異質なものを受け入れるしなやかさを失っていたのかもしれない。
高級な料理が美味なのは当たり前だ。でもそれよりも、現地に溶け込んで"庶民の料理"を心からおいしく感じ、夢中で食べるようになってこそ、世界が広がるのだ。

すっきりした気分で店を出て走り出したとき、はあと息をもらしながら、呆然と世界を見渡した。ヤシの木やバナナの木、古びた街並みや、岩の上の白い大仏、肌の色の違う人々、トコトコ行き交う三輪タクシー、異国の風景がペダルを回すごとにゆっくりゆっくり動いていく。じわじわと肌が痺れてきた。なんてすごい経験だろう......。
これまで自転車旅行ばかりやってきて当たり前になっていたけれど、自分の力で、自分の足で、別世界をぐいぐい進んでいく、こんな気持ちいい体験がほかにあるだろうか。
三大欲に並ぶ本能的な快感、そんな風に感じられた。
バイクに2人乗りしたおじさんたちが僕をゆっくり追い抜いていく。後ろに乗っているおじさんが振り返り、「ウェルカム・トゥ・スリランカ!」と言って白い歯を見せる。僕も思わず破顔し、「サンキュー!」と叫んで手を振った。

それなりにたくさん旅をしてきたので、今はもうたいして旅に飢えていない、と思っていたけれど、やっぱりこれからも、広い世界を泳ぐように自転車で旅し、腹をとことん空かせ、現地のメシをガツガツ食らって異国に溶け込み、現地の人々と笑い合う、このすこぶる痛快な時間を、あっという間に過ぎ去る人生の活動期間に、少しでも多く与えていければ――。そんな思いを、雌伏の時を経て新たにしたところで、筆を置きたいと思う。
この3年間、ご愛読ありがとうございました。

文・写真:石田ゆうすけ

石田 ゆうすけ

石田 ゆうすけ (旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。