さすがに毎日は無理だけど、週1回ならがんばれるかな(仮)
平成もまんざらじゃなかった。

平成もまんざらじゃなかった。

今日はそんなふうに思いたい。阪神タイガースが日本一にならなかったことと、100万円馬券が一度も当たらなかったこと、小泉今日子さんと出会うことが叶わなかったことをのぞけば、ね。

その昔、年号が昭和から平成へ変わったことを、僕はしばらく知りませんでした。
当時は浪人。脱藩した武士を気取ったわけではないのですが、故郷の新潟を離れ、千葉の下総中山にある予備校の寮で暮らしていたんですよね。
2段ベッドがふたつ並んだ4人部屋。そこが僕の塒です。よくやってたよなぁ。いまにして思います。相部屋という存在に、どこか昭和が漂います。

部屋にテレビはありませんでした。もちろん、インターネットもないですよ、昭和64年の話ですからね。

年が明けてからの僕は、予備校にも行かず、ずっと寮に引きこもり。
アコーディオンカーテンで仕切られた1畳ほどの空間で、間近に迫った入試に備えて少しは勉強したり、せっせとロンリープレイに励んだり、真摯にボーっとしていたことをよく憶えています。

小正月(当時は成人の日でもあったんですよね)、実家から荷物が届きます。
箱を開けると、林檎や蜜柑や餅やインスタントラーメンが新聞紙にくるまれて入っていて、いちばん下の包みを引っ張り上げると、バラバラと万代太鼓がこぼれ落ちました。万代太鼓は子供の頃、僕が大好きだった新潟銘菓。あの頃、実家からの荷物の中には必ず入っていたんですよね。

右手で掴んだ新聞紙に、新しい年号が踊っていました。
平成。
1週間前の新聞には、僕の知らない世界のことが書かれていました。昭和が終わったことを古新聞が教えてくれます。

なんだか、時代に取り残された気分ですよ。
特段、お腹がへっているわけじゃないのに、送られてきたばかりのインスタントラーメンを必死にすすりましたね。食べていないと、不安や焦燥や空虚に押しつぶされて、ぺしゃんこになってしまいそうな気がしたんですよね。先の見えない浪人だもん。

けどね、根拠のない自信も、ちょっとだけあったんだよなぁ。

dancyu web編集長 江部拓弥
写真:石田ゆうすけ