まる、さんかく、しかく
太田さん夫婦と焚き火と飯ごう炊さん。|おにぎりをたずねて三千里⑤

太田さん夫婦と焚き火と飯ごう炊さん。|おにぎりをたずねて三千里⑤

「おにぎりの本当のおいしさってなんだろう」。その答えを求めて写真家・阪本勇は旅に出る。奥多摩の日本家屋で暮らす、彫刻家の太田旭さん、京子さん夫婦をたずねた。

旭さんと京子さんとジョン

奥多摩の自然に囲まれた生活。

以前に住んでいた家の近くを、なんの目的もなくぷらぷらと散策していたら、店先に古本が置かれている店があった。アート関連の本が多く、ガラス張りの店の中を覗くと、どうやらそこはギャラリーらしかった。僕は写真特集の古い『美術手帖』を1冊手にとって、店の中に入った。

馴染みのお客さんらしき人と、オーナーらしき女性が話しをしていたので、僕もなんとなく古本を片手に持ったまま店内に飾られた絵を見ていた。

しばらくして、女性が奥に引っ込み、お茶をのせたお盆を持って出てきた。「どうぞ」と言ってお客さんに「これもよかったら。実家に帰ってきたので、もみじの天ぷらなんですけど」と言って、お茶と一緒に馴染みのお客さんに差し出した。
僕はハッ!とした。もみじの天ぷらは、僕が育った大阪府箕面市の名物だったからだ。女性は僕にもお茶ともみじの天ぷらを薦めてくれた。

しゃけのおにぎり

「箕面なんですか?」とたずねると、同じ箕面出身ということと、それだけでなく僕の出身校である箕面高校の先輩ということもわかった。年齢が少し離れていたので同時期には通っていなかったけれど、従兄弟も箕面高校出身で、僕と同年齢くらいだと言う。詳しく聞くと、従兄弟はまったくの同学年で、僕が2年生のときに同じクラスだった。

同じ出身地、同じ出身校ということもあり、その日をきっかけに仲良くさせてもらうようになった。それが祐天寺にあるギャラリー「金柑画廊」のオーナー、太田京子さんだった。

焚き火の煙に燻されるふたり

ギャラリーの近くに旦那さんの実家があるので、そこに寝泊まりすることも多いけれど、旦那さんとふたりの家は奥多摩にある。
太田さん夫婦の家は一度写真で見せてもらったことがあって、焚き火ができる庭もある。行きたい行きたいと言っていたら、「じゃあ、今度焚き火をしようよ」と誘ってもらった。「ここら辺よりもずっと寒いから、1枚多く着ておいで」と言われた。

京子さんは京都市立芸術大学を卒業し、ニューヨークのマンハッタンにある美術学校に入学した。
入学試験に面接があり、緊張して部屋で待っていると、先生と一緒に日本人がひとり入ってきた。それが旭さんだった。
旭さんはその2年ほど前からこの学校で学んでいて、面接には先生と生徒の通訳係として呼ばれていた。
面接を受ける自分よりも緊張している旭さんの強張った顔を見ていると可笑しくて緊張がほぐれた。それがふたりの出会いだった。

日本に戻ってからふたりは結婚し、旭さんの彫刻の制作場所として、奥多摩に家を探した。
旭さんはアメリカ時代、マンハッタンから車で北に2時間ほど走ったウッドストックで彫刻家のアシスタントをしていて、自然に囲まれた生活を心地よく感じていた。
その環境に近い場所がいいと思って奥多摩で家を探したが、川が近いこと、日本家屋がいいという条件もあり、また、よそ者ということでなかなか信用されず、今の家を見つけるまで結局4年もかかった。

ジョン

僕が奥多摩の家に着くと、飼い犬であるジョンが一番に出迎えてくれた。鎖なんてしておらず、自由に野山や家中を走り回っていた。京子さんが帰ってくるまでの間、旭さんが裏山で摘んだ葉で淹れた温かいお茶を出してくれた。

旭さんは、基本的には奥多摩で生活をしている。彫刻の制作をしつつ、カヤックやサップ、ハイキングなどのアウトドアの体験教室も開いている。元々は水泳をしていたので“水なら平気”くらいの軽い気持ちでカヤックを始めたが、今では教える立場になった。

夫婦のもてなしは、飯ごう炊さん。

普段、奥多摩の家ではガス炊飯器でごはんを炊いている。ヤフオクで500円で落札し、送料は1,500円だった。とてもおいしく炊けるので気に入っていて、奥多摩に引っ越して都市ガスからLPガスに変わっても、業者さんにLPガスで使えるように炊飯器を改造してもらって使い続けている。業者さんは「もしかしたらうまく炊けないかも」と言っていたが、実際ごはんを炊いてみたらなんの問題もなく、きれいな“カニ巣”もできた。米がうまく炊けたときに表面にできるプツプツした空気穴のことを、一般的には“かに穴”と呼ぶらしいが、京子さんは“カニ巣”という独特の言い方をしていた。

飯ごう炊さんにわくわく

お米を研いだ旭さんが「焚き火するんだし、せっかくだから飯ごうで炊こうか?」と言ってくれた。
アウトドアの体験教室では、川で飯ごう炊さんでごはんを炊き、みんなでカレーを食べたりするらしい。残ったごはんはおにぎりにして持って帰る。
季節によってはみんなでハイキングに行き、季節のものを摘んできて、飯ごうでタケノコごはんや栗ごはんを楽しんだりもする。

以前、僕は京懐石の店で働いていた。そのときに職人さんに鍋でのごはんの炊き方を教わった。耳で炊くんだと教えられ、鍋に耳をすますとパチパチと音が鳴っていた。このパチパチという音が聞こえなくなったら、10秒ほど強火にして水気をとばすのだと言われ、そのときはよくわからなかったけど、最近ようやく土鍋でうまくごはんが炊けるようになってきた。

鼻を近づける旭さん

旭さんの炊き方は、耳だけでなく、大げさに言えば五感をフルに使っている感じがした。ときどき蓋を爪の先で抑えて振動を感じたり、炊ける音に耳をすましたり、匂いをかいだり。何度も何度も熱々の飯ごうに、あまりも近くまで鼻を近づけて匂いをかぐので、いつか、鼻の頭が飯ごうに触れて「アチ!」となるのではないかと思い、その瞬間を写真に収めようとずっとカメラを構えて狙っていたが、その瞬間はおとずれなかった。

旭さんが焚き火と飯ごうでごはんを炊いてくれている間、京子さんは家の中の台所でしゃけやタラコを焼いていた。

見事な炊き加減

みんなで外で食べるおにぎりの味。

しばらくして見事に炊き上がったごはんで、旭さんはわかめと梅のおにぎり、しゃけのおにぎり、タラコのおにぎりの3種類をつくってくれた。

慣れた手つきでにぎるのが早い

京子さんが言うには、つくるおにぎりの形は夫婦でも違うらしく、京子さんは俵型、旭さんはさんかくの形らしい。
旭さんは、山男的風貌から、大きくてごついおにぎりをにぎるのかと想像していたが、サイズは小ぶりだった。ただ、旭さんの胸板のようにぶ厚かった。

豚汁

おにぎりができ上がる頃には奥多摩の友達も集まってきて、京子さんがつくってくれた豚汁と一緒にみんなで焚き火を囲んで食べた。
高枝切りばさみで切り落とした、裏山のゆずの皮を削って豚汁に香りをつけた。なんて贅沢な食卓なんだろうと嬉しくなった。

僕は“おいしい”には“嬉しい”と“楽しい”が内在していると思っている。特におにぎりの場合はその要素が強い。

外で食べるのは特別なおいしさがある。みんなでわいわいと食べる食事には特別なおいしさがある。

天気のいい日にみんなで野外で

奥多摩は陽が暮れて周りが暗くなるのがとても早い。その日のお昼は暖かかったのに、夜になると急激に冷え込んだ。みんなで家に入って、淹れてもらったコーヒーを飲んでたくさん話しをした。

天気がいいときは、今日と同じように庭で焼肉やバーベキューを楽しむこともあるらしい。今度はそのときにまた来たいなと思った。残ったおにぎりをラップに包んでお土産にもらい、奥多摩から練馬の家へと帰った。
考えてみれば飯ごう炊さんをするのは小学校の林間学校以来だった。

わかめと梅、タラコ、しゃけ。
わかめと梅、タラコ、しゃけ。
寒い日に外でいただく温かい豚汁は嬉しい。
寒い日に外でいただく温かい豚汁は嬉しい。
裏山のゆず。高枝切りばさみで。
裏山のゆず。高枝切りばさみで。
この皮入りのしゃけおにぎりを僕はずっと狙っていた。
この皮入りのしゃけおにぎりを僕はずっと狙っていた。
焚き火といえば焼き芋!
焚き火といえば焼き芋!
家の中には、たくさんの芸術作品が飾られている。
家の中には、たくさんの芸術作品が飾られている。
ジョン、4歳、男の子。
ジョン、4歳、男の子。
蓋が浮いてきたら重石をする。
蓋が浮いてきたら重石をする。
ふたりがこだわった日本家屋。
ふたりがこだわった日本家屋。
旭さん愛用のカヤック。
旭さん愛用のカヤック。

文・写真:阪本勇

阪本 勇

阪本 勇 (写真家)

1979年、大阪府生まれ。大阪府立箕面高等学校卒業後、インドにひとり旅。日本大学芸術学部写真学科中退。写真家の本多元に師事後、独立。2008年「塩竈写真フェスティバル フォトグラィカ賞」受賞。高校の先輩である矢井田瞳の撮影のアシスタントをした際には「箕面高校」とあだ名をつけてもらったことも。人物撮影、ドキュメンタリー撮影を中心に、写真・映像の分野で大活躍(する予定!)。