dancyu本誌から
せんべい好きなら草加へ行こう!

せんべい好きなら草加へ行こう!

見渡せば、あちらこちらにせんべい、せんべい、せんべいの看板……。江戸時代、宿場町として栄えた草加は、今や日本一のせんべいタウンだ。今週末は、パリポリ香ばしい聖地巡礼へ!

せんべい工場見学で、おいしさの秘密を探る!

1961年創業の「草加煎餅まるそう一福」
1961年創業の「草加煎餅まるそう一福」
工場で働くスタッフは明るく元気。一番右の高橋さんは、入社13年目のリーダー的存在だ。
工場で働くスタッフは明るく元気。一番右の高橋さんは、入社13年目のリーダー的存在だ。

埼玉県草加市といえば、名物はせんべい。せんべい好きなら聖地へ赴き、イチからつくるところを覗いてみようじゃないか!と一念発起。本拠地に乗り込んだ。

草加駅までは、都心から東武伊勢崎線で40~50分。長旅を想像していたら、拍子抜けするほど近かった。

「獨協大学前〈草加松原〉駅」からバスで10分。到着したのは「まるそう一福」だ。本店の奥に大きな工場があり、製造工程の見学と手焼き体験ができるのである。早速せんべいづくりを見てみよう!

1.うるち米を製粉する

せんべいの原料になるうるち米の倉庫。
せんべいの原料になるうるち米の倉庫。
米袋の中の玄米を、その都度精米して使用している。
米袋の中の玄米を、その都度精米して使用している。
昭和36年製の製粉機。
昭和36年製の製粉機。
給水させてから細かく製粉する。
給水させてから細かく製粉する。

せんべい工場に潜入すると、待っていたのは米袋を山積みした倉庫だ。袋の中は白米ではなく玄米。

「せんべいのおいしさは、お米のおいしさ。うちのせんべいづくりは、県内の契約農家の玄米を必要な分だけ精米するところから始まるんです」とマネージャーの高橋克嘉さん。

うるち米を精米、洗米後、一晩かけて水切りしてから細かく製粉する。柏餅などに使う新粉と同じものだ。

2.せんべいの素をつくる

生地にごまを練り込む。
生地にごまを練り込む。
一かたまり10kgほど。力がいる作業だ。
一かたまり10kgほど。力がいる作業だ。
のし機を通し、薄く伸ばす。
のし機を通し、薄く伸ばす。
型から外れなかった生地を、職人が手で剥がす。
型から外れなかった生地を、職人が手で剥がす。
乾燥機に入れ、更に1週間寝かせる。
乾燥機に入れ、更に1週間寝かせる。
せんべいの素完成。
せんべいの素完成。

蒸してから冷やした生地を、搗いて餅状に。職人の経験と勘が頼りの工程である。

のし機を通し、薄くのした後、円形に型抜きする。周りの生地はもう一度、のし機に通して使用。カットした生地は金網の上にのせて蒸気乾燥機へ。6時間ほどかけてしっかり乾燥させる。

乾いた生地は箱に入れ、さらに1週間ねかせる。乾燥状態は生地同士を叩いて音で判断する。

3.せんべいを焼く

焙炉(ほいろ)生地を温めてから焼きの作業へ。
焙炉(ほいろ)生地を温めてから焼きの作業へ。
返しの作業。
返しの作業。
草加せんべいに欠かせない押しの作業。
草加せんべいに欠かせない押しの作業。
生地の状態を見て職人が火加減を調整。
生地の状態を見て職人が火加減を調整。
刷毛が内蔵された機械に通せば、醤油を塗られたせんべいが登場。
刷毛が内蔵された機械に通せば、醤油を塗られたせんべいが登場。
冷まして包装すれば完成だ。
冷まして包装すれば完成だ。

2階では生地を焼く作業が進行。目を見張ったのはその機械だ。草加せんべい独特の押し焼きが忠実に再現されていた。すごい!

ただし、火加減や火との間隔などは、生地の状態に合わせて調整が必須。機械化されても、職人の手仕事は欠かせないわけか。

醤油が香る草加は、紛れもなくせんべい好きの聖地。巡礼に繰り出せば、一層、せんべいへの愛情が深まり、香ばしい未来が開けるはずだ。

※「草加煎餅 まるそう一福」の工場見学は、手焼き体験&焼きたてせんべいの試食がついて540円。工場見学のみは150円。電話にて要予約。

店舗情報店舗情報

草加煎餅 まるそう一福
  • 【住所】埼玉県草加市青柳2-16-18
  • 【電話番号】048-936-6301
  • 【営業時間】9:00~18:00
  • 【定休日】無休
  • 【アクセス】東武伊勢崎線「獨協大学前〈草加松原〉駅」よりバスで10分

草加せんべいの魅力を掘り下げた“せんべいルポ”まだまだ続きます。どうぞ本誌をご覧ください!

dancyu2019年3月号
dancyu2019年3月号
第一特集:日本酒2019
第二特集:醤油せんべい

A4変型 判( 200 頁)
2019年02月06日発売 / 880円(税込)

文:上島寿子 写真:加藤麻希

上島 寿子

上島 寿子 (文筆家)

東京生まれで、銀座の泰明小学校出身。実家がビフテキ屋だったため、幼少期から食い意地は人一倍。洋酒メーカー、週刊誌の記者を経て、フリーに。dancyuをはじめ雑誌を中心に執筆しています。