麺店ポタリング紀行
築地は今、どうなっているんだろう?

築地は今、どうなっているんだろう?

年の瀬になると、不思議と築地が恋しくなる。東京に住んでいる者の性なのかな。しかししかし。2018年の秋、築地は場内市場を失った。場内と場外、つがいの築地は今はない。それでも築地を愛せるのか。独り身の年の瀬を過ごす、築地に逢いに行こう!

場内市場移転後の築地を目指して、師走を走る。

年の暮れ、築地市場はどうなっているだろう、と思った。
えっ、移転したんじゃないの?――そう。でも厳密にいえば一部残っている。
築地市場はふたつあった。場内と場外だ。ジョウナイとジョウガイ。このうち移転したのが場内だ。正式名称は築地中央卸売市場。で、その外にあったのが場外である。プロたちが場内で鮮魚を買ったあと、ほかの食材や道具を買い足すための市場、という位置づけだったが、場内同様、鮮魚店も並んでいる。実質、商店街だから一般客も利用しやすい。こちらは今も築地に残っている。

この場外市場を3年前に取材した。そう、現在の都知事がメーテルの如く現れる前のことだ。
いろんな店で話を聞いた。移転は15年前から決まっていたから、みなさん心の準備はできているようで、前向きな言葉が聞かれたが、その一方で、場外市場の行く末にはやはり不安も抱えているようだった。

その後、都知事旋風が吹き荒れ、2年遅れでようやく今年10月に場内が移転した。跡地はフェンスに囲まれ、ガランとした様子がテレビに流れていた。場外はどうなっているだろう。場外のラーメン屋「井上」は今も賑わっているだろうか。古ぼけた店だが、路上で立ち食いする客が常にあふれていたのだ。その中に混じって麺をすすり、市場の喧騒を聞いていると、アジアの片隅にいるのだと実感したものだった。

というわけで師走のある晴れた朝、阿佐ヶ谷の自宅を出発。前2回は東西の街道を走って都心に出たから、今回は南を攻めよう。
中杉通りをシュルシュル南下する。中杉通りという名前なのに欅並木だ。
青梅街道を横切り、当てずっぽうで細い道に入る。「おっ」とブレーキをかけた。

壁に落ち葉が舞っています。
壁に落ち葉が舞っています。コテ絵の一種?違うか?窓など細かいところの造形も含めて、もはやパブリックアート。

すごい。こんな家があるなんて知らなかった。この道は何度も通っているはずなのに。
ルーティーンの日々の中では見えないものが、旅人になって探し始めれば、途端に目に映るのだ。心躍る“宝”が、町にはたくさん落ちている。

善福寺川に突き当たった。ところどころ紅葉が残り、逆光にきらめいている。朝はいろんなものが光っている。ジョギングするお姉さんもキラキラしている。

善福寺川
東京でも特に好きな場所。善福寺川に沿って約4km緑地が続いています。ここで初めて桜が好きになりました。

適当に細い道に入り、南へ南へ走ると、井の頭通りに突き当たった。左に曲がり、東に向かう。
アンティーク家具店が並んでいた。前を通ると、古い木のいい香りがする。そう、これだ。時間を経たものの香り、味わい。何にも代えがたい風情だ。僕が昭和な店を目指す理由なのだ。

都心部にいきなり現れる、異国度100%の巨大建築物

と、前方に何か見えた。
「!!!」

東京ジャーミイ
名称は「東京ジャーミイ」。ジャーミイとは大規模なモスクのことで、モスクとはイスラム教の礼拝堂のこと。見学は自由。しかも無休だという。
トルコ文化センターも併設
駐車場はないので、自転車で行くか、徒歩でぜひ。イスラム教やトルコの文化を紹介する「トルコ文化センター」も併設している。

モスクじゃないか。イスラム教の礼拝堂だ。こんなに立派なモスクが日本にもあったのか。
「見学自由」とデカデカ書かれている。そう、世界のモスクも同じなのだ。異教徒にも開かれている。イランでは、僕はモスクに泊めてもらったこともあった。「自由に使っていいよ」とモスクの鍵まで渡されたのだ。現地で触れるイスラム教は、報道から受けるイメージとはまったく違う。
それはさておき、このモスクに入ると、息を呑んだ。

堂内
建築技術と美術の粋を集めた堂内。入場無料、寄付歓迎。堂内の撮影は原則禁止ですが、許可を得て掲載しています。お世話になりました。

外観だけでなく、中も本物だった。まねて造ったレベルじゃない。海外の日本庭園のようないびつさがない。
1917年のロシア革命の際、日本に逃れたイスラム教徒たちのために建てられたのが最初らしい。現在のモスクは二代目で、トルコ人の職人が100人近く集まって建てたそうだ。日本最大のモスクらしい。

自転車に戻り、地図を確認したとき、えっ?と目を疑った。この日本最大のモスクが載っていないのだ。コンビニや小さな公園まで載っている詳細な都市地図なのに。
目を皿のようにして探すと、近くのキリスト教の小さな教会はしっかり載っているのである。
コメカミに唾を塗って座禅し、考えてみた。テンテンテンテン、チーン。そうか、わかった。ページをめくって凡例を見ると、やはり思ったとおりだ。寺の「卍」、教会の「♰」みたいな地図記号が、モスクにはないのだ。だから地図には載せられなかったのだ。

......そんな理由で納得できるわけもなく、釈然としないまま出発する。
山の手通りを越えると、代々木公園に入った。鉄錆色の落ち葉がはらはら降る中を走っていく。

都道413号線
都道413号線が代々木公園の中を1kmほど貫いています。
紅葉
1週間前ならもっと紅葉がきれいだっただろうなあ。

公園が終わると、メルヘンチックな原宿が現れ、そこを過ぎて適当に走っていくと、「六本木こっち」の案内標識が見えた。僕の好みから最も遠い町だ。できれば避けたい、と思っているのに、サルガッソー海に吸い寄せられる銀河鉄道のように、どんどん引き寄せられ、六本木のど真ん中に出てしまった。やはり道は繁華街に集まるらしい。脇目もふらず通り抜ける。

さらに適当に進んでいくと「新橋駅こっち」の標識が現れた。よし、ドンピシャだ。駅そばの高架をくぐり、空が広く開けているほうに進むと、海の潮気を含んだ空気を感じた。さあ、出でよ築地!今はどれだけ哀愁を帯びているんだ!
「.........」

いらっしゃいいらっしゃい
いらっしゃいいらっしゃい、安いよ安いよー!ファンイン グアンリン!

ぜんぜん変わってへんがな......。いや、むしろ前より人出が多くなっているんじゃないか?どういうこっちゃ?
以前に取材した店に行ってみたが、昼時でみんな忙しそうだった。あとで話を聞くことにして、とりあえず僕も「井上」で腹ごしらえをしよう。

......あれ?ない。たしかこの辺にあったはずなのに、看板もない。
同じ並びに「若葉」というラーメン屋もあって、そっちは健在だった。カウンター席からあふれた人たちが、路上のスタンディングテーブルで立って食べている。ここのラーメンは、僕はまだ未体験だった。あとで食べてみよう。でも「井上」はどうしたんだ?

築地
在りし日の想い出にふける勝手なノスタルジアは、築地には無縁だったのだ。活況!

案内所に行って聞いてみると、お姉さんは八の字眉になって言った。
「井上さんはやってませんね。火事になってから閉めたままです」
場外で火事!そうだ、そういやそんなことがあったよ!
「あれって、いつでしたっけ?」
「火事ですか?去年です」
去年のことなのにもう忘れていたとは......うーむ、おっさんは記憶力がどんどん怪しくなっているなぁ。
それにしても、また「行ったら閉まってた」パターンかよ。とほほ。

――つづく。

文・写真:石田ゆうすけ

石田 ゆうすけ

石田 ゆうすけ (旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。