麺店ポタリング紀行
浅草橋に進路を取れ!

浅草橋に進路を取れ!

恋焦がれた「おはる」の中華そばにふられてしまった。求愛すら叶わず、そもそもその姿を拝むことすら出来ず、さようなら。腹ペコだ。どこかにないのか、昭和が香る一軒は。ケーリー・グラントは北北西だったけれど、おっさんは浅草橋に進路を取った!

「不思議な店なんですよ」と彼は言った。

昭和が香るボロい、いや、風趣のある店が好きな僕にとって、サイクリング中にたまたま見つけたラーメン店「おはる」は、まるで後光が差しているかのように輝いていた。まわりの景色から完全に浮いていて、一軒だけ高度成長期から抜け出てきたような店だったのだ。
そのときは準備中だったので、また来よう、来週早々にでも来よう、と熱い思いを胸に立ち去ったのだが、行かないまま2年が過ぎた。

で、この11月のある晴れた朝、ふと思い立ち、阿佐ヶ谷の自宅から永代橋のその店を目指して、自転車で走り始めたのだ。
あちこち寄り道しながら約2時間半後、ようやく「おはる」に着いたら、暖簾すら出ていなかった。近所のおじさんに聞けば「3ヶ月前に店を閉めたよ」とのこと。

僕は頭を抱えた。やっぱり、急がないとダメなのだ。昭和の店がどんどん消えている。平成まで終わろうとしている今、昭和の空気と味を体に刻んでおかなければ。……それをしたからといって、どうなるわけでもないんだけど。

おはる
あまりのショックに空まで曇ってきました。

ともあれ、自転車を漕いでお腹がペコペコだった。どこかいい店はないか、と考えたとき、ある記憶がよみがえってきた。何日か前に、dancyu web編集長のエベ氏と飲んだのだが、阪神タイガースの来季について議論を交わしたあと、話の矛先はラーメンへと移り、飾らない昔ながらの中華そばが好きだという意見で一致した。エベ氏は浅草橋に以前通っていた店があるという。

「不思議な店なんですよ。ガード下に埋まっているみたいで」

浅草橋ならここから近いし、ガード下の中華そば屋というだけでそそられるではないか。それ行け、と自転車にまたがり、地面を蹴った。
店の名前もわからないし、スマホも持っていないから調べようもないが、浅草橋駅付近のガード下で、中華そばを謳った店といったら何軒もないはずだ。電話でエベ氏に聞けば話は早いが、ふふ、どうせなら“宝探し”を楽しもう。せっかく自転車で来てるんだ。

釣り糸を垂れるおじいさん
スーさん?風景に溶け込むように釣り糸を垂れるおじいさんがいた。

松尾芭蕉と矢吹ジョーの気配がする町。

北へ向かって漕いでいくと、ビルが立ち並ぶ空間に水路が現れた。おじいさんが釣りをしている。こんな都会の真ん中で?
自転車を停め、聞いてみると、「ハゼを狙ってるんだけどね」とどこか恥ずかしそうに笑う。
「釣れましたか?」
「いや、今日はだめだね」
散歩のついでのような軽装だ。魚屋に買い物にいく感覚でハゼを釣りにいき、釣れたてを天ぷらにして、一杯。東京の真ん中でもできるんだ(ほんとかな?)。

さらに北へ向かう。「深川芭蕉庵」という案内板が見え、矢印に従って曲がると、白い壁で行き止まりになった。隅田川の堤防だ。刑務所の壁のように高いので、川は見えない。その壁のそばに木の門があった。

隅田川の堤防
右側の白壁が隅田川の堤防です。川の匂いが漂うけれど、川は姿を見せない。

門をくぐって階段を上ると、小さな公園があり、芭蕉の像が鎮座している。ここにもあったか、と思った。日本中で目にするのだ。宗教関係以外の像では2番目に多いんじゃないだろうか。ちなみに1番目は学校によくいる、薪を背負ったあの人だ。

案内板によると、1680年に芭蕉はこの隅田川のほとりに庵を結び、亡くなるまでの15年間、ここを拠点に旅を続けたらしい。門下からもらった植物の芭蕉がよく育ったため、芭蕉庵と名付け、自らの俳号にしたという。

そこからは隅田川がよく見えた。そよ風が吹いている。秋は川がよく薫る。

芭蕉像
300年以上たった今も、芭蕉像の後ろには、植物の芭蕉が茂っています。

さらに北上し、川にかかる橋に乗った瞬間、「おっ」とブレーキをかけた。屋形船がひしめき、木造小屋が川岸に何軒も並んでいる。矢吹ジョーがロードワークしていそうな雰囲気だ。

屋形船
ブルース・リーの映画に登場しそうな香港の佇まいも感じたり。

ポタリングは予測不能なのだ。

両国橋を渡り、さらに北上すると、ガードに突き当たった。左に曲がり、ガードに沿って進む。やがて浅草橋駅が見えてきた。ここだ。周辺をポタリングしながら店を探す。
……ない。ガード沿いはすべて見たが、それらしい店がない。おかしい。見逃すはずはない。もう一度ガードに沿って走ると、
「え?これ?」
見逃すはずだ。予想外の形でガード下に埋もれていた。

ガード下
ガード下の側面と思っていたら、こっち側にあるとは……。それにしても、埋まっているという表現がぴったりの佇まい。

ともあれ、ひと安心だ。やっと麺にありつける。
「あれ?」
暖簾が店の中にかかっている。まさか。時計を見る。まだ1時40分だ。
ドアを開けると、強面の初老のおじさんがいた。
「ごめんなさいね、1時半までなんで」
「あ、そうですか。ハハ……」
な、なんなんだこれは?2軒連続で嫌われるなんて。
店は11時半からで、午後はやっていないという。1日の営業が、なんと2時間。ますます惹かれてしまうが、どのみち今日は諦めるしかなかった。うーむ、まったく麺紀行にならないではないか。

とにかく何か食べよう。ガス欠寸前だ。
再び周辺を走り、目に飛び込んできた昭和風情のラーメン店に入った。
またしても強面の初老のおじさんがいた。ギロリと僕を睨む。
出てきたラーメンは、NHKの朝ドラに出てきそうな“ザ・中華そば”だった。

中華そば
まさに朝ドラ『まんぷく』の世界。雷紋のウォッシュ具合にも長い歴史がにじみ出ています。女将さんに写真のOKはもらいました。

食べてみると、味も文句なし。豚骨と鳥ガラの醤油味だ。なんだかホッとする。甘めのメンマがいい。ひと噛みごとに舌がリセットされ、ラーメンの味が鮮やかになる。
気分が上がった僕は、強面おじさんに「おいしかったです」と声をかけた。おじさんは意外にも優しい顔で微笑んだ。
この地で50年やっているという。いや、すごい。入れ替わりの激しい都会で、50年。

取材をお願いしてもいいですか?と聞いてみた。
「ごめんね、取材は断ってるんだ」
「あ、そうなんですね……。あの、もしよかったら、理由を教えてもらえませんか」
「雑誌とか見てくる人って、1回だけでしょ。ウチは地元の常連さんを大事にしたいからさ」
50年も続くわけは、そういうところにもあるのかもしれないな。僕はなんだか清々しい気持ちで店を出たのだった。

……って、これじゃまた記事にならないやないかい!
うーむ、やはりガード下に埋まっていたあの店が気になる。一等地で1日2時間しかやらない中華そばって、どんな味なんだ?
ようし、再トライだ。2年後ではなく、今度こそ来週に!

――つづく。

文・写真:石田ゆうすけ
石田 ゆうすけ

石田 ゆうすけ (旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。